ゴッホ「花魁(英泉による)」とは?浮世絵を写した1枚と鶴と蛙の意味
パリの雑誌の表紙で見つけた英泉の花魁を、ゴッホは格子で写し、鮮やかな色と池の鶴と蛙で囲みました

ぼくの仕事はみな、いくらかは日本の美術をもとにしている
「花魁(英泉による)」とは
黄色い地の上に、髪にたくさんのかんざしを挿し、大きな渦の模様の着物をまとった女性が立っています。そのまわりには、睡蓮の浮かぶ池と竹、2羽の鶴、2匹の蛙。フィンセント・ファン・ゴッホが1887年の秋にパリで描いた「花魁(英泉による)」(英語 Courtesan (after Eisen))です。
ゴッホ美術館の作品ページによれば、制作は1887年10月から11月、綿の布に描いた油彩で、大きさは100.7×60.7cmです。いまはアムステルダムのゴッホ美術館にあり、フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有です。2017年から2018年に札幌、東京、京都を巡回した「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」では、「花魁(溪斎英泉による)」の題で展示されました。
もとになったのは、江戸の浮世絵師、渓斎英泉の木版画です。ただしゴッホは版画そのものではなく、1886年5月に出たフランスの雑誌『パリ・イリュストレ』の表紙に刷られた図を写しています。
描かれた女性が花魁(遊女)であることは、髪の結い方と、着物の後ろではなく前で結んだ帯からわかる、とゴッホ美術館は説明しています。浮世絵を油絵で描き写したこの作品は、ゴッホが日本の版画から何を学んだかを、目に見えるかたちで示しています。

制作の背景、パリで集めた浮世絵
ゴッホがパリに出てきたのは、1886年2月の終わりごろです。ルーヴル美術館で待っていると弟テオに知らせる短い手紙が残っています。それから1888年2月に南仏アルルへ移るまでの2年ほど、ゴッホはテオと同じアパルトマンで暮らしました。
ゴッホ美術館によると、ゴッホは1886年から1887年にかけての冬、パリの美術商ジークフリート・ビングから日本の木版画を660枚買いました。ビングの店の屋根裏では、何千枚もの版画が安い値段で売られていました。のちの1888年7月15日、ゴッホはテオへの手紙に「ビングの店には屋根裏があって、そこに1万枚のクレポンの山がある」と書いています。クレポンは、ゴッホが日本の版画全般を呼ぶのに使った言葉です。
ゴッホ美術館は、ゴッホが最初は版画を売るつもりで買ったと考えています。商売はうまくいかず、1887年のうちに、ゴッホは版画を手もとでじっくり見て学ぶようになりました。カフェ「ル・タンブラン」で浮世絵の展示も開いていて、その時期は1887年の初めごろと推定されています。テオと暮らす部屋の壁には版画をピンで留めていたため、ゴッホ美術館に残る版画のかなりの数に、いまもピンの穴が見えます。
このページの画像は、同じ1887年の9月から10月にパリで描いた「灰色のフェルト帽の自画像」(44.5×37.2cm、ゴッホ美術館所蔵)です。「花魁」を描いたのは、この自画像のすぐあとの時期です。

技法と色彩、格子で写して色を変える
ゴッホは雑誌の表紙に描かれた花魁を、まず紙に写し取りました。ゴッホ美術館には、この表紙を鉛筆とペンとインクでなぞったトレース(39.4×26.3cm、1887年7月から12月)が残っています。そのうえで格子(グリッド)を使い、日本の図を縦1mほどの画面に拡大しました。輪郭を太い線ではっきり描き、内側を鮮やかな色で塗ったのは、木版画のように見せるためだとゴッホ美術館は説明しています。
花魁の着物は、赤、緑、黒の色で大胆に塗り分けられています。裾には大きな渦の模様があり、厚く盛った絵具の筆跡がそのまま見えます。英泉の版画では黒っぽかった着物を、ゴッホは強い色に置きかえ、花魁の背後を明るい黄色で塗りました。
花魁のまわりの池や鶴、蛙、竹、遠くの小舟は、英泉の版画にはないものです。ゴッホ美術館は、これらをゴッホがほかの日本の版画から借りてきたモチーフだと解説しています。2羽の鶴は、白い羽に赤い線を重ねて描かれています。
睡蓮の葉の上には、緑の蛙と茶色の大きな蛙がいます。竹は節と細い葉まで一本ずつ線で描かれ、黄色の地を縁取るように画面の端に立っています。




鶴と蛙に込められた意味
なぜ花魁のまわりに鶴と蛙がいるのでしょうか。ゴッホ美術館は、ここに隠れた意味があると説明しています。19世紀のフランスでは、grue(鶴)と grenouille(蛙)が、娼婦を指す俗語として使われていました。ゴッホ美術館は、この動物の選び方は偶然ではなく、女性の仕事をほのめかしたものだとしています。
ゴッホ自身もこの言い回しを知っていました。翌1888年9月25日、アルルからテオに送った手紙で、肖像のモデルになっていた青年ミリエが町の女性たちに別れを告げに行く様子を、「grues et grenouilles」(鶴と蛙)という言葉で書いています。
一方で、竹や睡蓮の池については、ゴッホ美術館は特別な意味を説明していません。日本の版画から借りたモチーフで、黄色の地に立つ花魁を囲む一つの風景として描かれています。華やかな花魁の姿の外側に、フランス語の冗談をそっと忍ばせたところに、パリで暮らしたゴッホらしさが見えます。
1886年の『パリ・イリュストレ』、左右が逆になった花魁
ゴッホが見た花魁は、雑誌『パリ・イリュストレ』の日本特集号(第45・46合併号、1886年5月1日)の表紙に載っていました。この号を執筆、編集したのは、富山県高岡出身の美術商、林忠正(1853〜1906年)です。日本の歴史や風土、宗教、衣服、芝居などを紹介する文章が、約20ページにわたって載っています。高岡市立博物館は、この号を1冊所蔵しています。
表紙の図は、渓斎英泉(1790〜1848年)の「雲龍打掛の花魁」です。英泉は美人画で知られた浮世絵師で、ゴッホ美術館は、ゴッホが龍の模様の着物に惹かれたのかもしれないと書いています。このページの画像が英泉の版画です。ゴッホの絵と並べると、花魁の向きが左右反対になっているのがわかります。表紙に刷られたとき、図が左右反転していたためです。理由については、印刷の都合とする説明もあれば、林が誌面の向きに合わせて意図したという説もあります。
ゴッホ美術館は、この号の表紙と、ゴッホがその表紙をなぞったトレースを今も所蔵しています。同じ号に林が書いた日本人の性格についての文章が、ゴッホの思い描く日本人像のもとになったという説もあります。

歌川広重を写した2枚、1887年秋の3点
ゴッホ美術館によると、ゴッホは1887年の秋、日本の版画を油絵で写した作品を3点描きました。「花魁」のほかの2点は、どちらも歌川広重の「名所江戸百景」からです。
「花咲く梅の木(広重による)」(55.6×46.8cm)は「亀戸梅屋舗」を、「雨の大橋(広重による)」(73.3×53.8cm)は「大はしあたけの夕立」を写した絵で、どちらも1887年10月から11月の制作です。このページの画像は「雨の大橋」です。広重の2点は、ゴッホが自分で持っていた版画から描きました。梅の木の絵では左右に、雨の大橋では四方に、日本の文字を並べた縁取りを描き加えました。ゴッホ美術館によれば、雨の大橋の文字はほかの版画から写したもので、色も広重の版画より強くしています。
3点目の「花魁」では、縁取りに文字ではなく池と鶴と蛙を描きました。もとの図は自分の版画ではなく雑誌の表紙で、まわりの風景はほかの版画から集めたモチーフで組み立てています。
ゴッホは版画を写すだけでなく、肖像画の背景にも描き込みました。同じ1887年に描いた「タンギー爺さんの肖像」では、背景を日本の版画で埋めています。

なぜ「花魁」は今も語り継がれるのか
「花魁」は、ゴッホが浮世絵を手で写して学んだ時期の記録です。1888年2月20日、ゴッホは南仏アルルに着き、3月16日ごろのテオへの手紙で「ぼくは日本にいるような気がする」と書きました。7月15日の手紙では、「ぼくの仕事はみな、いくらかは日本の美術をもとにしている」とも書いています。
ゴッホ美術館は、アルルに移った1888年から、ゴッホの絵は平らな構図、強い色、はっきりした線、装飾的な模様へ変わっていったと説明しています。パリで浮世絵を写した経験が、その後の絵の土台になりました。アルルで描いた「耳に包帯をした自画像」(1889年1月)の背景には日本の版画が掛かっています。1890年の「アーモンドの花」について、ゴッホ美術館は、題材と太い輪郭線、画面の中の木の配置を日本の版画から借りたと説明しています。
同じ7月15日のもう1通の手紙で、ゴッホは日本の美術を古代ギリシャや昔のオランダの画家たちと並べ、「それは終わることがない」と書きました。後期印象派の画家ゴッホが日本の版画から受け取ったものは、130年以上たった今も、こうして1枚の絵の中に見ることができます。
「花魁」を見るには、ゴッホ美術館とグッズ情報
「花魁(英泉による)」は、アムステルダムのゴッホ美術館(Museumplein 6)が所蔵しています。2026年11月1日の時点で、美術館の作品ページでは展示中と案内されています。展示替えや貸し出しで見られない時期もあるので、出かける前に作品ページで確かめると安心です。
入館料は大人€25で、18歳未満は無料です(2027年1月1日から大人€26)。チケットはオンラインのみで、入館時間を指定して予約します。同じ館には「花咲く梅の木(広重による)」と「雨の大橋(広重による)」もあり、ゴッホとテオが集めた浮世絵の多くも所蔵しています。版画は光に弱いため、展示されることはあまりありません。
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵の「ローヌ川の星月夜」をあしらった扇子、ゴッホの6作品を収めたコースター、「アルルの寝室」のポスターを取り扱っています。ゲッティ美術館の「アイリス」をあしらった扇子もあります。
よくある質問
ゴッホの「花魁(英泉による)」はどこにある?
オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています(フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有)。2026年11月1日の時点で、美術館の作品ページでは展示中と案内されています。
「花魁」はいつ描かれた?大きさは?
1887年10月から11月に、パリで描かれました。綿の布に描いた油彩で、大きさは100.7×60.7cmです。
「花魁」のもとになった浮世絵は?
渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」です。ゴッホは版画そのものではなく、1886年5月の雑誌『パリ・イリュストレ』日本特集号の表紙に刷られた図を写しました。表紙では図の左右が反転していたため、ゴッホの花魁も英泉の版画とは逆を向いています。
「花魁」の鶴と蛙にはどんな意味がある?
19世紀のフランスでは、grue(鶴)と grenouille(蛙)が娼婦を指す俗語でした。ゴッホ美術館は、花魁を囲む鶴と蛙には、この意味が隠されていると説明しています。
ゴッホは浮世絵を何枚持っていた?
ゴッホ美術館によると、ゴッホは1886年から1887年にかけての冬に、美術商ジークフリート・ビングから日本の木版画を660枚買いました。テオと、のちにその妻ヨーが大切に保管したため、その多くがいまゴッホ美術館にあります。
Museum Boxで買えるゴッホのグッズは?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵の「ローヌ川の星月夜」の扇子、ゴッホの6作品のコースター、「アルルの寝室」のポスターを取り扱っています。ゲッティ美術館の「アイリス」の扇子もあります。