ゴッホ「アーモンドの花」とは?甥の誕生を祝った絵と日本の版画
1890年2月、サン=レミの療養院で。生まれたばかりの甥のために描いた、青空に咲く白い花

日本の芸術を学べば、ずっと明るく、ずっと幸せにならずにはいられないと思うのです。
「アーモンドの花」とは
青い空を背に、白い花をつけたアーモンドの枝が画面いっぱいに伸びています。フィンセント・ファン・ゴッホが1890年2月、南仏サン=レミ=ド=プロヴァンスの療養院で描いた「アーモンドの花」(Amandelbloesem)です。日本では「花咲くアーモンドの枝」「アーモンドの木」とも呼ばれ、英語では「Almond Blossom」と呼ばれています。
大きさは73.3×92.4cmの油彩画で、アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています。
この絵は、弟テオと妻ヨーに長男が生まれたことを祝う贈り物でした。1890年1月31日に生まれた子は、伯父の名をとってフィンセント・ヴィレムと名づけられます。アーモンドは南仏で早い時期に花を咲かせ、春の訪れを告げる木です。ゴッホはその花を、新しい命のしるしとして選びました。

制作の背景、サン=レミの療養院と甥の誕生
1888年12月、アルルで自分の左耳を切る事件を起こしたゴッホは、その後も発作をくり返しました。1889年5月、自ら望んでサン=レミのサン=ポール=ド=モゾール療養院に入ります。療養院の庭や周りの畑を描きながら、発作の合間に制作を続けました。
1890年1月31日、パリのテオから、男の子が生まれたという手紙が届きます。テオは、前から伝えていたとおり兄さんの名をとって名づける、と書いていました。
2月20日ごろ、ゴッホは母への手紙で、テオとヨーの寝室に掛けてもらうために、青い空を背にした白いアーモンドの花の大きな枝を描き始めたと伝えています。絵は赤ん坊のためというより、夫婦の寝室に飾る贈り物として描かれたものでした。
ところが、この絵を描いていたころ、ゴッホは重い発作に倒れ、しばらく筆をとれなくなります。4月29日のテオへの手紙では、アーモンドの花を描いているときに病気になったこと、そのあいだに花の季節がほとんど終わってしまったことを書いています。

技法と色彩、輪郭線と下から見上げた枝
「アーモンドの花」には、地面が描かれていません。下から見上げたように、枝と花と空だけが画面を埋めています。
ゴッホ美術館は、この題材そのものと、太い輪郭線、画面の中への木の置き方を、ゴッホが日本の版画から借りたと説明しています。枝ははっきりした線で縁どられ、花は一つずつ形がわかるように描かれています。
背景の空は、ゴッホの晩年の作品によく見られる渦を巻く筆づかいではなく、比較的落ち着いた青で塗られています。その青の上に、白い花と、開きかけた花やつぼみ、細い小枝が重なります。




ゴッホと日本の版画、広重の梅を写した絵
ゴッホが日本の版画に夢中になったのは、1886年にパリへ移ってからです。1886年から87年にかけての冬には、パリの美術商ジークフリート・ビングの店で、660枚もの浮世絵を買い込みました。はじめは売るつもりでしたが、その計画がうまくいかず、1887年のあいだに版画をじっくり研究するようになります。ゴッホ美術館は今も、ゴッホと弟テオが集めた浮世絵を500点ほど持っています。1887年に描いた「タンギー爺さん」の背景にも、浮世絵がいくつも描き込まれています。
1887年の10月から11月には、歌川広重の「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」(1857年)を油彩で写しています。手前に梅の木の太い枝が大きく伸び、その奥に花の咲く庭が広がる構図です。花の咲く枝を間近に大きく描く「アーモンドの花」にも、こうした版画から学んだ見方が生きています。
アルルに移ってからも、ゴッホの日本への思いは続きました。1888年9月、アルルからテオに宛てた手紙にはこう書いています。
「日本の芸術を学べば、ずっと明るく、ずっと幸せにならずにはいられないと思うのです。」
アーモンドを描いたのも、このときが初めてではありません。1888年の春、アルルに着いて間もないゴッホは、グラスに挿した花咲くアーモンドの小枝を描き、続けて花の咲く果樹園を何枚も描いています。
なぜ「アーモンドの花」は今も愛され続けるのか
「アーモンドの花」は、ゴッホ美術館によれば、ゴッホの家族にとってとりわけ大切な作品でした。絵を贈られた甥のフィンセント・ヴィレムは、のちにゴッホ美術館を設立した人物です。伯父の名を受け継いだ子のために描かれた絵が、伯父の作品を伝える美術館に残っていることになります。
1890年5月、ゴッホは療養院を出て、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移ります。7月27日に自らを銃で撃ち、2日後の7月29日に37歳で亡くなりました。「アーモンドの花」は、亡くなる5か月ほど前に描かれた作品です。
日本では、白い花が桜に似ていることから、「ゴッホの桜」として思い浮かべる人も少なくありません。アーモンドは桜と同じバラ科サクラ属の木で、花の形もよく似ています。ゴッホが描いた花では、ほかに「ひまわり」や「アイリス」もよく知られています。
「アーモンドの花」を見るには
「アーモンドの花」(1890年)は、アムステルダムのゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が所蔵しています。展示替えや貸し出しもあるため、訪れる前に美術館のサイトで展示状況を確かめると安心です。
入館料は大人€25、18歳未満は無料です。入館は日時を指定したオンライン予約制です。美術館はアムステルダム国立美術館と同じミュージアム広場に面しています。
パリのオルセー美術館では、同じ晩年の作品として、サン=レミで描いた「自画像」(1889年)や「アルルの寝室」の3枚目(1889年)、オーヴェルで描いた「オーヴェルの教会」(1890年)、アルル時代の「ローヌ川の星月夜」(1888年)を見ることができます。
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズを販売しています。「アーモンドの花」のグッズはありませんが、オルセー美術館所蔵のゴッホ作品をモチーフにした「ローヌ川の星月夜」のトートバッグと「自画像」のスマートブック(小型のノート)、オルセー美術館の所蔵作品を使った60枚のメモリーゲームを取り扱っています。
よくある質問
「アーモンドの花」はどこにある?どこで見られる?
アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています。入館は日時指定のオンライン予約制で、大人の入館料は€25です。展示替えや貸し出しもあるため、訪れる前に美術館のサイトで確かめると安心です。
「アーモンドの木」「花咲くアーモンドの枝」は同じ絵?
はい。原題はオランダ語で「Amandelbloesem」、英語で「Almond Blossom」で、日本語では「アーモンドの花」「花咲くアーモンドの枝」「アーモンドの木」などと呼ばれます。
「アーモンドの花」はなぜ描かれたのか?
1890年1月31日に生まれた弟テオの長男、フィンセント・ヴィレムの誕生を祝って描かれました。ゴッホは母への手紙で、テオと妻ヨーの寝室に掛けてもらうための絵だと書いています。
「アーモンドの花」はいつ描かれた?サイズは?
1890年2月、サン=レミの療養院で描かれました。大きさは73.3×92.4cmの油彩画です。
なぜ日本の浮世絵の影響があるといわれるのか?
ゴッホ美術館は、題材と太い輪郭線、画面の中への木の置き方を、ゴッホが日本の版画から借りたと説明しています。ゴッホはパリで660枚もの浮世絵を買い、1887年には歌川広重の「亀戸梅屋舗」を油彩で写しました。
ゴッホは桜を描いた?
「アーモンドの花」は桜ではなくアーモンドの花ですが、アーモンドは桜と同じバラ科サクラ属で、花もよく似ています。ゴッホは1888年の春、アルルで花の咲く果樹園も何枚も描いています。
ゴッホはいつ亡くなった?
1890年7月27日、オーヴェル=シュル=オワーズで自らを銃で撃ち、2日後の7月29日に37歳で亡くなりました。「アーモンドの花」はその5か月ほど前に描かれています。
ゴッホのグッズはどこで買える?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズを販売しています。「アーモンドの花」のグッズはありませんが、オルセー美術館所蔵のゴッホ作品をモチーフにした「ローヌ川の星月夜」のトートバッグと「自画像」のスマートブック、オルセー美術館の所蔵作品を使ったメモリーゲームを取り扱っています。