ゴッホ「耳に包帯をした自画像」とは?耳を切った事件と2枚の違い
1889年1月、退院から1週間。毛皮の帽子と包帯の姿で、ゴッホは再び鏡に向かった

「耳に包帯をした自画像」とは
顎の下まで巻いた白い包帯、毛皮のついた帽子、緑の外套。フィンセント・ファン・ゴッホが1889年1月、南仏アルルで描いた「耳に包帯をした自画像」です。「包帯をした自画像」「包帯を巻いた自画像」「耳を切った自画像」とも呼ばれます。1888年12月23日の夜に自分の耳を切り、病院を退院してから約1週間後に描いた絵で、ゴッホが「耳を切った画家」として知られるきっかけになった事件を、本人の姿で今に伝えています。
大きさは約60×49cmの油彩で、ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)が所蔵しています。1928年にサミュエル・コートールドが買い入れました。
ゴッホは同じ1月に、包帯の姿の自画像をもう1点描いています。パイプをくわえた「包帯をしてパイプをくわえた自画像」で、こちらは個人蔵です。この記事では、2枚の違い、耳を切った夜について今わかっていること、背景の日本の版画を紹介します。ゴッホの自画像は全部で約35点あり、その中でもこの2枚は、もっともよく知られた作品に数えられます。

制作の背景、耳を切った夜から退院まで
1888年2月、ゴッホは南仏アルルへ移り、「黄色い家」を借りて画家仲間と暮らし描く場所にしようとしました。10月にやって来たのがポール・ゴーギャンです。ゴッホはその直前に自分の部屋を「アルルの寝室」として描いています。しかし2人の共同生活は、言い争いが続いて2か月ほどで行き詰まります。
1888年12月23日の夜、ゴーギャンが出て行くと言ったあと、ゴッホは自分の左耳をかみそりで切り落としました。ゴーギャンが後年書いた回想では、その前にゴッホがかみそりを手に自分に近づいてきたとされています。ゴッホは切った耳を布に包み、町の娼館にいた女性に手渡しました。翌朝、警察が黄色い家でゴッホを見つけ、アルルの病院に運びます。手当てをしたのは若い医師フェリックス・レーでした。ゴーギャンはまもなくパリへ戻りました。
入院中、ゴッホを気にかけ続けたのが、郵便配達人ルーランです。1889年1月4日、ゴッホは数時間だけ外出を許され、ルーランと一緒に黄色い家へ戻っています。1月7日に退院し、その約1週間後、黄色い家で鏡に向かって描いたのがこの自画像です。1月中旬のテオへの手紙で、ゴッホは新しい自画像を描いたと知らせていて、これがこの絵だと考えられています。

技法と色彩、包帯と帽子、背景の日本の版画
画面に描かれているのは、ゴッホ本人と、その背後の部屋です。背後には開いた窓と、描き始めたばかりのキャンバスを載せたイーゼルがあり、壁には日本の木版画が掛かっています。絵具は厚く盛られ、ナイフの跡も残っています。
ゴッホは鏡を見て描いたため、実際に切ったのは左耳ですが、絵の中では右側に包帯が巻かれているように見えます。コートールド美術館によると、黒い毛皮のついた帽子は、厚い包帯を押さえ、冬の寒さをしのぐために買ったばかりのものでした。帽子は、1月のアルルでゴッホが置かれていた厳しい仕事の条件も伝えています。
背景の版画は、1870年代の日本の版画《風景の中の芸者たち》をもとにしたものとされています。ゴッホは版画をそのまま写さず、自分の絵に合わせて描き替えています。イーゼル、日本の版画、画家本人。描くことに戻った自分を、仕事場の道具と一緒に描いた自画像だと見ることもできます。




耳切り事件、今わかっていること
1888年12月23日の夜のできごとは、長いあいだ細かいところがはっきりしませんでした。ゴッホは耳たぶの一部だけを切ったと長く言われ、耳を手渡した相手も「ラシェル」という名の娼婦とされてきました。
これを大きく塗り替えたのが、研究者バーナデット・マーフィーの調査です。マーフィーは、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校にある作家アーヴィング・ストーンの資料の中から、ゴッホを手当てした医師レーが1930年に描いた耳の図を見つけました。図には、耳のほぼ全体が切り落とされたことが示されています。この図は2016年、アムステルダムのゴッホ美術館の展覧会「On the Verge of Insanity(狂気の淵で)」で公開されました。耳を受け取った女性も、娼館で下働きをしていた若い女性ガブリエル・ベルラティエだったことがわかっています。
一方で、2009年にはドイツの美術史家ハンス・カウフマンとリタ・ヴィルデガンスが、フェンシングの心得があったゴーギャンが剣で耳を切り、2人が口裏を合わせたのではないかという説を本にしました。ただし、この説には多くの研究者が疑問を示しています。
耳を切った理由については、ゴッホ本人がはっきり書き残しておらず、今もわかっていません。確かなのは、この夜を境に黄色い家での共同生活が終わり、ゴッホが退院後すぐに鏡の前でこの自画像を描いたことです。

ゴッホと日本の版画
この自画像の壁に日本の版画が掛かっているのは偶然ではありません。ゴッホはパリ時代、画商ジークフリート・ビングの店から600枚を超える日本の版画を買い集めました。その多くは今、アムステルダムのゴッホ美術館に残り、その中には歌川広重の版画が少なくとも78枚含まれています。
ゴッホは版画を部屋の壁に貼り、平らな色面、はっきりした輪郭線、大胆な構図に学びました。パリでは広重の版画を油絵で描き写し、画材商を描いた「タンギー爺さんの肖像」では、背景を日本の版画で埋めています。南仏アルルへ移ったのも、明るい光の中に日本のような世界を見たいという思いがあったからでした。
耳を切った直後の自画像に、ゴッホは日本の版画を描き込みました。描くことを支えてきたものを、自分のすぐそばに置いたかのようです。

「包帯をしてパイプをくわえた自画像」との違い
ゴッホは1889年1月中旬、もう1点の包帯の自画像を描いています。「包帯をしてパイプをくわえた自画像」(パイプをくわえた自画像とも呼ばれます)です。2枚の主な違いは次のとおりです。
- 所蔵。コートールド版はロンドンのコートールド美術館です。パイプの版は個人蔵で、ギリシャの海運王スタヴロス・ニアルコスの一族が持っています。
- 大きさ。コートールド版は約60×49cm、パイプの版は約51×45cmと、ひと回り小さい作品です。
- 背景。コートールド版は窓、イーゼル、日本の版画のある部屋です。パイプの版は背景が上下でオレンジと赤に分かれ、ほかに何も描かれていません。
- 姿。どちらも包帯を巻き、緑の外套を着ていますが、パイプの版ではゴッホがパイプをくわえています。背景のオレンジと赤は、外套の深い緑と補色の関係にあります。
パイプの版は、来歴もドラマチックです。1896年に画家エミール・シュフネッケルが買い、1902年に収集家ギュスターヴ・ファイエの手に渡りました。のちに画商ポール・ローザンベールのものとなり、1941年にナチスに奪われてヘルマン・ゲーリングのものになります。戦後の1945年にチューリッヒで見つかり、1948年にローザンベールへ返されました。その後アメリカの収集家を経て、1970年代にニアルコスが手に入れています。
ふだんはチューリッヒ美術館の展示にときどき貸し出される程度で、展覧会に出るのは珍しい絵です。2026年10月9日から2027年3月8日まで、パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開かれているギュスターヴ・ファイエの展覧会に出品されていて、展覧会への出品は1990年以来です。

なぜ「耳に包帯をした自画像」は今も語り継がれるのか
「耳に包帯をした自画像」が人を引きつけるのは、傷を隠さずに描いているからです。ゴッホは包帯を巻いた自分を、大げさな表情もつけず、仕事場の道具と並べて描きました。事件の直後でも、画家として描き続けようとしていたことが、絵そのものから伝わってきます。
この絵は、ゴッホが亡くなったとき、パリの画材商タンギー爺さんの手元にありました。どういう経緯で渡ったのかはわかっていません。その後、1901年と1905年にパリで開かれたゴッホの大きな回顧展に出品され、1928年にコートールドのコレクションに入りました。
ゴッホはこのあとも発作をくり返し、1889年5月にはサン=レミの療養院に自ら入ります。療養院で描いた渦巻く青の自画像まで、ゴッホの自画像を順に見ていくと、この1枚が画家の歩みの大きな分かれ目にあることがわかります。後期印象派を代表する画家の、もっとも劇的な時期を記録した自画像です。
「耳に包帯をした自画像」を見るには
「耳に包帯をした自画像」は、ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)で見られます。テムズ川沿いのサマセット・ハウスの中にある美術館で、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」やセザンヌの「カード遊びをする人々」など、印象派と後期印象派の名作で知られています。
場所はストランド通りに面したサマセット・ハウスで、地下鉄テンプル駅から歩いて行けます。開館は毎日10時から18時まで(最終入場は17時15分)です。入館料は曜日や特別展によって変わるので、行く前に美術館のサイトで確かめてください。
もう1点の「包帯をしてパイプをくわえた自画像」は個人蔵で、ふだんは見る機会がほとんどありません。2027年3月8日までは、パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンの展覧会で公開されています。
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、ゴッホの「星月夜」をモチーフにしたストール、スノードーム、メモ帳と、星柄の靴下を取り扱っています。
よくある質問
「耳に包帯をした自画像」はどこにある?
ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)が所蔵しています。美術館はテムズ川沿いのサマセット・ハウスの中にあります。
「耳に包帯をした自画像」はいつ描かれた?
1889年1月、南仏アルルで描かれました。1888年12月23日に耳を切ったゴッホが、1889年1月7日に病院を退院し、その約1週間後に描いた作品です。大きさは約60×49cmの油彩です。
ゴッホが切ったのは右耳?左耳?
左耳です。鏡を見ながら描いたため、絵の中では右側に包帯が巻かれているように見えます。
ゴッホは耳をどこまで切ったの?
長く耳たぶの一部とされてきましたが、研究者バーナデット・マーフィーが見つけた医師レーの図から、耳のほぼ全体を切り落としていたことがわかりました。この図は2016年にゴッホ美術館で公開されています。
ゴッホはなぜ耳を切ったのか?
ゴーギャンとの共同生活が行き詰まり、ゴーギャンが出て行くと言った1888年12月23日の夜に起きた事件ですが、理由はゴッホ本人も書き残しておらず、わかっていません。2009年にはゴーギャンが剣で切ったとする説も出ましたが、多くの研究者が疑問を示しています。
「包帯をしてパイプをくわえた自画像」との違いは?
どちらも1889年1月の作品です。コートールド美術館の1点は窓、イーゼル、日本の版画のある部屋が背景で、約60×49cmです。パイプをくわえた1点は背景がオレンジと赤に分かれ、約51×45cmとひと回り小さく、個人蔵です。
「包帯をしてパイプをくわえた自画像」はどこで見られる?
個人蔵(ニアルコス家)で、ふだんは見る機会がほとんどありません。2026年10月9日から2027年3月8日まで、パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開かれているギュスターヴ・ファイエの展覧会に出品されています。
背景の日本の版画は何?
1870年代の日本の版画《風景の中の芸者たち》をもとにしたものとされています。ゴッホはパリ時代に600枚を超える日本の版画を買い集め、その色や線に学びました。
ゴッホのグッズはどこで買える?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、ゴッホの「星月夜」をモチーフにしたストール、スノードーム、メモ帳と、星柄の靴下を取り扱っています。