ゴッホ「耳に包帯をした自画像」とは?——耳切り事件の直後に描いた、静かなる再起の肖像

1889年1月、耳を切った翌月——荒れた心ではなく、驚くほど穏やかな眼差しでキャンバスに向かったゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ「耳に包帯をした自画像」(1889年1月)コートールド美術館所蔵
私は今また自分の仕事を再開した——筆を持つことで、正気に戻れると信じている

「耳に包帯をした自画像」とは

白い包帯、毛皮の帽子、厚手の外套——フィンセント・ファン・ゴッホが1889年1月に描いた「耳に包帯をした自画像」は、美術史上もっとも有名な自画像のひとつです。鏡に向かって静かに立つゴッホの視線は、荒れ狂う怒りでも深い絶望でもなく、どこか落ち着いた内省の色を帯びています。あの「耳切り事件」からわずか数週間後に描かれたとは、にわかには信じがたい穏やかさです。

この作品は1889年1月、フランス南部の町アルルで制作された油彩で、縦60.5cm、横50cm。現在はイギリス・ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)に所蔵されています。コートールドの創設者サミュエル・コートールドが1934年に購入して以来、同館のコレクションの中心的な一点として展示されてきました。

ゴッホはこの時期、驚くほど多くの自画像を残しています。1886年から1889年の約3年間に描いた自画像は35点以上。「耳に包帯をした自画像」は、その中でも最も劇的な状況下で生まれた一点です。フランス国立美術館連合(RMN-GP)が管理するゴッホ関連コレクションの一部として、Museum Boxでもゴッホの名作を使ったグッズをご提供しています。

ゴッホ「耳に包帯をした自画像」(1889年)詳細——包帯をした耳と穏やかな視線

制作の背景——耳切り事件から病院の白い部屋へ

1888年12月23日夜、アルルの「黄色い家」でひとつの悲劇が起きました。共同生活をしていたポール・ゴーギャンとの激しい口論の末、ゴッホは自らの左耳の一部を切り取り、それを布に包んで近くの売春宿の女性に手渡したのです。翌朝、血まみれの状態で発見されたゴッホは、アルル市立病院に搬送されました。

入院中、毎日のようにゴッホのもとを訪れたのが友人のゴッホの「郵便配達人ルーラン」でした。ルーランは「天使のように優しかった」とゴッホは後に記しています。1889年1月7日、ゴッホは退院を許可されます。「黄色い家」に戻った彼が最初にしたことのひとつが、鏡を前にしてキャンバスに向かうことでした。

1889年1月17日頃に書かれたテオへの手紙の中で、ゴッホはこう述べています。「私は今また自分の仕事を再開した——筆を持つことで、正気に戻れると信じている」。絵を描くことは、ゴッホにとって単なる創作ではありませんでした。それは精神を保つための命綱であり、自己を取り戻すための行為そのものでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像(麦わら帽子)」(1887年)デトロイト美術館所蔵

技法と色彩——包帯・日本版画・冬のアルルの光

この絵の構成はシンプルながら、注意深く計算されています。画面を占めるのは、人物、背景の壁、そして左奥に見える日本版画の一部です。ゴッホはこの絵を鏡を見ながら描いたため、実際に切ったのは左耳ですが、鏡越しに描かれた絵では右耳に包帯が巻かれているように見えます。

白い包帯は顔の右側から顎の下まで覆い、その上に茶色の毛皮の帽子が被られています。包帯の白さは周囲の色——青みがかった外套、暖かいオレンジ系の肌色——の中で際立ち、視線を自然にその部分へ誘導します。しかし、ゴッホの表情は傷を強調するというより、それを静かに受け入れているように見えます。

背景に目を向けると、左側の壁に日本版画が飾られているのが見えます。これはゴッホが熱心に収集していた浮世絵の一枚で、女性の姿(遊女あるいは芸者)が描かれています。ゴッホは1887年ごろから日本版画に強く魅了され、500枚以上のコレクションを持っていました。版画をアトリエの壁に飾り、その精神——線の明快さ、平面的な色彩の美しさ——を自らの絵に吸収しようとしていました。

ゴッホ「耳に包帯をした自画像」顔と包帯のディテールゴッホ「耳に包帯をした自画像」背景の日本版画ディテールゴッホ「耳に包帯をした自画像」外套と帽子のディテールゴッホ「耳に包帯をした自画像」背景の筆触ディテール

耳切り事件の真実——謎めいた夜の記録

1888年12月23日の夜、アルルで何が起きたのか——この問いは今なお美術史家たちを惹きつけ続けています。ゴッホとゴーギャンの口論が発端であることは確かですが、切り取られた耳が「全体だったのか一部だったのか」「手渡した相手は誰だったのか」といった詳細については諸説あります。

長らく信じられてきた説では、ゴッホは耳たぶの一部を切り取り、近くの売春宿の「ラシェル」という名の女性に手渡したとされています。しかし2009年には、ドイツの研究者ハンス・カウフマン氏とリタ・ヴィルデガンス氏が「耳全体を切り落とした」という説を発表し、話題を呼びました。さらに「ラシェル」ではなく「ガブリエル」という別の女性だったという説も浮上しています。

確かなことは、この事件の翌朝に発見されたゴッホが病院に運ばれ、ゴッホの「アルルの寝室」で知られる「黄色い家」での共同生活が終焉を迎えたということです。そしてゴッホは退院後、鏡に向かって自分の姿をキャンバスに収めた——それがこの絵です。自らの傷を直視する行為は、ゴッホにとって逃避ではなく、自己と向き合う勇気の表れでした。

ゴッホ「耳に包帯をした自画像」顔と包帯のディテール——包帯の白さが際立つ

ゴッホが愛した日本——浮世絵と「南国の光」への憧れ

「耳に包帯をした自画像」の背景に飾られた浮世絵は、単なる装飾品ではありませんでした。ゴッホにとって日本は、精神的な理想郷そのものでした。「まるで日本の芸術家のように、自然の中で暮らして、自然と一体になりたい」とゴッホは手紙に記しています。それがアルルに移住した理由のひとつでもありました——南フランスの強烈な光の中に、日本の浮世絵が描く鮮やかな色彩世界を見出そうとしていたのです。

1886年のパリ滞在中、ゴッホは画商ジークフリート・ビングの店で大量の浮世絵を購入し、広重、北斎、英泉など様々な版画を熱心に模写しています。その影響はこの自画像に限らず、アルル期の多くの作品に色濃く現れています。平面的な色面、明確な輪郭線、大胆な構図——これらはすべて浮世絵から学んだ表現です。

「ジャパノワズリー(日本趣味)」が当時のパリでも一種のファッションだったとすれば、ゴッホのそれはより本質的なものでした。「日本の画家は素朴で、自然の中で、花のように生きている」と彼は書いています。工業化が進むヨーロッパ社会への違和感と、失われつつある何かへの憧れが、浮世絵への深い共感を生んでいたのかもしれません。またゴッホが収集した日本版画は、ジャガイモを食べる人々の時代から続く「素朴な生の美しさ」への眼差しと深く共鳴しています。

ゴッホ「耳に包帯をした自画像」背景の浮世絵ディテール

「パイプをくわえた、耳に包帯をした自画像」——もう一枚の自画像との比較

実は、ゴッホは「耳に包帯をした自画像」を2点描いています。コートールド美術館版と並んで知られるのが「パイプをくわえた、耳に包帯をした自画像」(1889年1月)で、こちらはスイスの個人コレクションに所蔵されています。

2点の違いは一見して明らかです。コートールド版は包帯と静けさが印象的で、パイプをくわえた版はよりカジュアルな雰囲気を持ちます。ゴッホは同じモチーフを複数バージョン描くことが多く、ゴッホの「アルルの寝室」も3つのバージョンが存在します。各バージョンで構図・色・仕上がりが微妙に異なり、その比較を通じて制作プロセスを読み解けるのもゴッホ研究の醍醐味のひとつです。

入院から退院直後というきわめて不安定な状況の中で、ゴッホはこれほど冷静に自己観察を続けていました。一部の研究者は、絵を描くという行為そのものがゴッホの精神を安定させる作用を持っていたと見ています。キャンバスと向き合うことで、混乱した内面が整理されていったのかもしれません。自画像という形式を選んだことは、「鏡の前に立って自分を直視する」という意志の表れでした。

ゴッホ「耳に包帯をした自画像」外套と帽子のディテール

なぜ「耳に包帯をした自画像」は今も語り継がれるのか

「耳に包帯をした自画像」が持つ力は、「苦しみの美化」ではなく「苦しみの中の人間らしさ」にあります。ゴッホはこの絵の中で、被害者にも英雄にも見えません。ただひとりの人間として、傷を抱えながら自分を見つめています。その普遍性が、130年以上を経ても見る者の胸に響き続ける理由でしょう。

美術市場においても、ゴッホのこの時期の自画像群は極めて高い評価を受けています。1990年にクリスティーズで落札されたゴッホの「ガシェ医師の肖像」が当時世界最高額(約825億円)を記録したことは有名ですが、アルル・サン=レミ期の自画像群への関心は今なお高く、精神の深みを伝える作品として広く認められています。

ゴッホ自身は生前、この絵を売ることも評価されることもなく亡くなりました。しかし弟テオへの手紙を通じて伝わる彼の思考と感情は、絵と合わせて読むとき、この作品が単なる記念碑ではなく「生きていた人間の記録」であることを実感させてくれます。アルルの白い病院の部屋で鏡と向き合ったゴッホの姿は、絵画の枠を超えて、見る者に静かな問いかけを投げかけてきます——あなたは自分の傷と、どう向き合いますか、と。

「耳に包帯をした自画像」を見るには——コートールド美術館とグッズ情報

「耳に包帯をした自画像」はイギリス・ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)に所蔵されています。コートールドはサマセット・ハウス内に位置し、印象派・後期印象派の傑作を中心に約260点のコレクションを誇る、比較的小規模ながら質の高い美術館です。ゴッホのほかにも、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」、ルノワールの「桟敷席」、セザンヌの複数の静物画など、西洋近代絵画の精華が一堂に会しています。

アクセスはロンドン中心部・テムズ川沿いのストランド(Strand)に位置し、地下鉄テンプル駅(Temple, ディストリクト線)またはホルボーン駅(Holborn, セントラル線)から徒歩圏内です。開館時間は月〜日曜の10:00〜18:00(最終入場17:30)。入館料は大人£9(2024年)です。

Museum Boxではゴッホの名作をモチーフにした多彩なグッズを取り揃えています。フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、ポーチ・バッグ・スカーフ・靴下・スノードームなど、ゴッホの世界観を日常に取り入れるアイテムを豊富に展開しています。

よくある質問

「耳に包帯をした自画像」はどこにある?

イギリス・ロンドンのコートールド美術館(Courtauld Gallery)に所蔵されています。サマセット・ハウス内に位置し、常設展示されています。

「耳に包帯をした自画像」はいつ描かれた?

1889年1月、フランス・アルルで描かれました。有名な耳切り事件(1888年12月23日)の後、同年1月初旬に退院したゴッホが制作したとされています。縦60.5cm、横50cmの油彩です。

絵の中の包帯は右耳?左耳?

ゴッホが実際に切ったのは左耳ですが、鏡を見ながら描いたため絵の中では右耳に包帯が巻かれているように見えます。鏡像なので左右が反転しています。

背景の日本版画は何?

ゴッホが収集していた浮世絵のひとつです。女性(遊女または芸者)が描かれた版画と考えられています。ゴッホは500枚以上の日本版画を所蔵し、その平面的な色彩と明快な線を自らの作風に取り入れました。

ゴッホはなぜ自分の耳を切ったのか?

1888年12月23日夜、共同生活をしていたポール・ゴーギャンとの激しい口論の後に起きた事件ですが、正確な理由は今も謎とされています。精神的な発作によるもの、または強い感情的混乱によるものと考えられていますが、詳細については諸説あります。

ゴッホのグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のゴッホ・グッズを取り揃えています。「星月夜」「ひまわり」などのモチーフを使ったポーチ・スカーフ・靴下などをご覧ください。