ゴッホ「カラスのいる麦畑」とは?遺作説の真相と手紙の言葉
荒れた空、黄金の麦、低く飛ぶカラス。亡くなる2週間あまり前にゴッホが描いた麦畑

これらの絵は、私が言葉では言えないこと、田舎に見ている健やかで力づけてくれるものを、きみたちに伝えてくれるでしょう。
「カラスのいる麦畑」とは
黒ずんだ青の空の下に黄金色の麦畑が広がり、その上をカラスの群れが低く飛んでいます。フィンセント・ファン・ゴッホが1890年7月、パリの北西にある村オーヴェル=シュル=オワーズで描いた「カラスのいる麦畑」(Wheatfield with Crows、オランダ語では Korenveld met kraaien)です。日本では「カラスの群れ飛ぶ麦畑」「烏のいる麦畑」「カラスの飛ぶ麦畑」とも呼ばれます。
大きさは縦50.5cm、横103cmの油彩画で、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています。
この絵はよく「ゴッホの最後の作品」と紹介されます。しかしゴッホ美術館の研究者は、手紙からこの絵が描かれたのは1890年7月10日ごろで、ゴッホが亡くなる2週間半ほど前だとしています。最後に描いた絵は、未完成のまま残された「木の根」である可能性が高いと考えられています。
ゴッホはこの絵を含む麦畑の大作について、弟テオとその妻ヨーに宛てて、悲しみと極度の孤独を表そうとしたと書きました。同じ手紙は、こう続いています。
「これらの絵は、私が言葉では言えないこと、田舎に見ている健やかで力づけてくれるものを、きみたちに伝えてくれるでしょう。」
絶望だけを描いた絵として語られることの多い作品ですが、ゴッホ自身の言葉はもう少し複雑です。

制作の背景、オーヴェルの70日間と7月の手紙
1890年5月16日、ゴッホは1年ほど過ごしたサン=レミの療養院を出ました。パリでテオと妻ヨー、その年の1月に生まれ、自分と同じフィンセントと名づけられた甥に会い、5月20日にオーヴェル=シュル=オワーズに着きます。村ではテオの勧めでガシェ医師に診てもらいながら、亡くなるまでの70日間に74点の絵と33点の素描を残しました。6月には「オーヴェルの教会」や「医師ガシェの肖像」が生まれています。
7月6日、ゴッホはパリのテオの家を訪ねましたが、この訪問は穏やかには終わらなかったことがわかっています。オーヴェルに戻ってから描いたのが、3枚の大きな絵でした。7月10日ごろ、ゴッホはテオとヨーに宛てて、そのうち2枚について書いています。
「荒れた空の下に果てしなく広がる麦畑です。」
ゴッホは続けて、悲しみと極度の孤独を表そうとしたと書き、できるだけ早くパリへ持っていきたいとも記しました。この2枚は、「カラスのいる麦畑」と、同じゴッホ美術館にある「雷雲の下の麦畑」だと考えられています。
これらの絵には、縦50cm、横100cmほどの横長の画面が使われています。正方形を2つ並べた形のこのキャンバスを、ゴッホは1890年の6月と7月、オーヴェルでだけ使いました。

技法と色彩、荒れた空と黄金の麦
横長の画面は、オーヴェルの麦畑の広さをそのまま伝えます。画面の上半分近くを占める空は、濃い青に黒みが混じり、短い筆の跡が荒々しく重ねられています。その下の麦は、黄色から緑がかった黄、茶色までの色で、風に揺れるように描かれています。
麦畑の中には道が延びています。中央の道は赤みを帯びた土の色で、両側の草は緑で塗られ、奥へ進むと麦畑の中で途切れてしまいます。どこにも行き着かないように見えるこの道は、この絵を語るときによく取り上げられる部分です。
その上を、黒いカラスの群れが飛んでいます。カラスは細かく描き込まれず、ほとんど一筆ずつの黒い形で置かれています。青い空と黄色い麦、赤い道と緑の草という反対の色どうしをぶつけ、絵具を厚く盛った画面は、近くで見ると筆の動きの速さまで伝わってきます。




「最後の絵」という説は本当か
「カラスのいる麦畑」は、長いあいだゴッホの遺作として語られてきました。この見方を広めたのは小説と映画です。アーヴィング・ストーンが1934年に出したゴッホの伝記小説では、ゴッホはこの絵を描いた翌日に命を絶ちます。この小説をもとにした1956年のヴィンセント・ミネリ監督の映画「炎の人ゴッホ」は、ゴッホがこの絵を描いた直後に自分を撃つ場面を描きました。
しかし、ゴッホの手紙からわかる事実は違います。ゴッホ美術館の研究者テイオ・メーデンドルプは、この絵が描かれたのは1890年7月10日ごろで、亡くなる2週間半ほど前だとしています。ゴッホが拳銃で自分を撃ったのは7月27日、亡くなったのは2日後の7月29日、37歳でした。撃った場所についても、麦畑だったという証言があるものの、はっきりとはわかっていません。
では、最後の作品はどれなのか。研究者のベルト・マースとルイ・ファン・ティルボルフは、ゴッホがめったに絵を未完成のまま残さなかったことから、最後の作品は未完成の絵だと考えました。候補は「木の根」と「オーヴェルの農家」の2点です。テオの妻ヨーの兄アンドリース・ボンゲルは、1893年の新聞に、ゴッホは亡くなる前の朝に日の光と生命に満ちた森の茂みを描いていたと書いていて、これは「木の根」によく合います。ゴッホ美術館は今、「木の根」を最後の作品とみるのが最も確からしいとしています。
それでも「カラスのいる麦畑」が遺作のように語られ続けるのは、荒れた空と行き場のない道が、ゴッホの最期の物語とあまりに重なって見えるからでしょう。

カラスは死の象徴なのか
黒いカラスは、西洋では不吉な鳥とされることがあり、この絵のカラスも死の予感として読まれてきました。暗い空と途切れる道を合わせて、ゴッホの悲しみと人生の終わりを表した絵だと見る研究者もいます。
一方で、カラスは死と再生、あるいはよみがえりの象徴として使われることもある、と指摘する研究者もいます。また、ゴッホ研究で知られるヴァルターとメッツガーは、絶望の絵という単純な読み方を退け、この絵のカラスはゴッホ自身の人生と深く結びついた、ごく個人的なしるしだったと書いています。
手がかりになるのは、やはりゴッホ自身の手紙です。ゴッホはこれらの麦畑の絵で悲しみと極度の孤独を表そうとしたと書く一方で、同じ手紙の中で、言葉では言えないこと、田舎に見ている健やかで力づけてくれるものを絵が伝えてくれるだろうとも書いています。甥の誕生を祝って描いた「アーモンドの花」と同じように、ゴッホは自然の中に支えを見いだす画家でもありました。悲しみと、それでも田舎の自然に感じていた力。その両方が、この一枚に重なっています。

同じころに描かれた麦畑の絵
オーヴェルの7月、ゴッホは同じ横長の画面でいくつもの麦畑を描いています。
ゴッホ美術館にある「雷雲の下の麦畑」(縦50.4cm、横101.3cm)は、手紙に書かれたもう1枚だと考えられている絵です。カラスも道も描かれず、麦畑の上に雲の広がる空が大きく描かれています。2枚を並べると、同じ悲しみと孤独を、まったく違う画面で描こうとしたことがわかります。
6月に描かれた「オーヴェルの教会」でも、手前の道が教会の前で左右に分かれていきます。道が奥で分かれていく構図は「カラスのいる麦畑」と似ていますが、日の光に満ちた教会の絵とは空気がまったく違います。
人物画では、同じ6月の「医師ガシェの肖像」があります。ゴッホがオーヴェルで描いた絵は、風景も人物も、どれも最後の70日間という短い時間の中に収まっています。

なぜ「カラスのいる麦畑」は今も語り継がれるのか
「カラスのいる麦畑」は、ゴッホの作品の中でも特に強い感情を呼び起こす絵として知られています。荒れた空、カラス、途切れる道。どれも説明がなくても目に飛び込んでくる形で、見る人はそこに自分の不安や孤独を重ねます。
その強さは、映画の作り手たちも引きつけてきました。小説と映画「炎の人ゴッホ」がこの絵を最期の場面に結びつけたことは先に書いたとおりです。1990年には黒澤明監督の映画「夢」の一編「鴉」で、ゴッホの絵の中に入り込んだ主人公がゴッホに出会い、マーティン・スコセッシがゴッホを演じました。
ただ、この絵を遺作の物語だけで見ると、ゴッホが手紙に残したもう一つの言葉を見落としてしまいます。悲しみと孤独を描こうとしたゴッホは、同じ絵が田舎の健やかさと力も伝えてくれるはずだと信じていました。後期印象派を代表する画家の、最後の夏の言葉として、両方を心にとめて見たい一枚です。
「カラスのいる麦畑」を見るには
「カラスのいる麦畑」(1890年7月)は、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が所蔵しています。同館は200点を超えるゴッホの絵、約500点の素描、750通を超える手紙を持つ、世界でいちばん大きなゴッホのコレクションです。同じ館には「雷雲の下の麦畑」や「木の根」、「アーモンドの花」、「ひまわり」の1枚もあります。
ゴッホ美術館は、アムステルダム国立美術館などが並ぶミュージアム広場(Museumplein)にあります。入館は日時指定のオンライン予約制で、大人€25、18歳未満は無料です(予約は必要)。
この絵はフランスの美術館の作品ではないため、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のグッズにはなっていません。オルセー美術館所蔵の「ローヌ川の星月夜」などゴッホの「星月夜」をモチーフにしたストール、スノードーム、メモ帳と、ゴッホの作品から着想した星柄の靴下を、RMN-GPのミュージアムグッズとしてMuseum Boxで取り扱っています。
よくある質問
「カラスのいる麦畑」はどこにある?
オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が所蔵しています。入館は日時指定のオンライン予約制で、大人€25です。
「カラスの群れ飛ぶ麦畑」「烏のいる麦畑」と同じ絵?
同じ絵です。英語では「Wheatfield with Crows」、オランダ語では「Korenveld met kraaien」と呼ばれ、日本では「カラスのいる麦畑」のほか、「カラスの群れ飛ぶ麦畑」「烏のいる麦畑」「カラスの飛ぶ麦畑」などと訳されています。
「カラスのいる麦畑」はいつ描かれた?
1890年7月、オーヴェル=シュル=オワーズで描かれました。ゴッホ美術館の研究者は、手紙から7月10日ごろの作とみています。ゴッホが亡くなったのは7月29日で、その2週間半ほど前です。大きさは縦50.5cm、横103cmです。
「カラスのいる麦畑」はゴッホの遺作?
遺作ではないと考えられています。遺作という見方は、アーヴィング・ストーンの小説や1956年の映画「炎の人ゴッホ」で広まりましたが、この絵は亡くなる2週間半ほど前の作です。ゴッホ美術館は、未完成のまま残された「木の根」を最後の作品とみるのが最も確からしいとしています。
カラスは死の象徴なの?
死の予感として読む解釈が広く知られていますが、カラスは死と再生の象徴にもなると指摘する研究者や、ゴッホ自身の人生と結びついた個人的なしるしだとする研究者もいます。ゴッホ自身は手紙で、麦畑の絵に悲しみと極度の孤独を表そうとしたと書く一方、田舎に見ている健やかで力づけてくれるものも伝えたいと書いています。
ゴッホは麦畑で亡くなったの?
ゴッホは1890年7月27日に拳銃で自分を撃ち、宿のラヴー亭に戻ったあと、7月29日に37歳で亡くなりました。撃った場所は麦畑だったという証言がありますが、はっきりとはわかっていません。
ゴッホがオーヴェルで描いた作品は何点?
1890年5月20日から7月29日までの70日間に、74点の絵と33点の素描を残しました。「カラスのいる麦畑」「オーヴェルの教会」「医師ガシェの肖像」などがこの時期の作品です。
ゴッホのグッズはどこで買える?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、ゴッホの「星月夜」をモチーフにしたストール、スノードーム、メモ帳と、星柄の靴下を取り扱っています。「カラスのいる麦畑」そのもののグッズはありません。