ゴッホ「医師ガシェの肖像」とは?2枚の違いと所在、落札額
悲しげだが穏やかで、澄んでいて知的。ゴッホが最後の村で描いた医師の肖像

悲しげだが穏やかで、それでいて澄んでいて知的。
「医師ガシェの肖像」とは
テーブルに肘をつき、頭を手で支えて首をかしげる白い帽子の男。フィンセント・ファン・ゴッホが1890年6月、パリの北西にある村オーヴェル=シュル=オワーズで描いたのが「医師ガシェの肖像」(Portrait du docteur Gachet)です。日本では「ガシェ医師の肖像」「ガシェ博士の肖像」「ガシェの肖像」とも呼ばれます。
モデルは、この村でゴッホを見守った医師ポール=フェルディナン・ガシェです。ゴッホは同じ6月に、同じ構図の肖像を2枚描きました。1枚目は1990年にニューヨークの競売で8,250万ドル(当時のレートで約125億円)という当時の絵画の最高額で日本の実業家に落札され、今は個人蔵で所在が公表されていません。2枚目はガシェ家に残り、今はパリのオルセー美術館が所蔵しています。美術館で見られるのはこのオルセー版です。
描いて間もない6月13日、ゴッホは妹ヴィルへの手紙で、この肖像の憂うつな表情は見る人にはしかめ面に見えるかもしれない、と書き、こう続けています。
「悲しげだが穏やかで、それでいて澄んでいて知的。」
こういう肖像をたくさん描くべきだ、とゴッホは考えていました。ゴッホがこの村で暮らしたのは、亡くなるまでのわずか70日です。

制作の背景、オーヴェルの70日間とガシェ医師
1890年5月16日、ゴッホはサン=レミの療養院を出ました。パリの弟テオの家に数日泊まり、5月20日にオーヴェル=シュル=オワーズに着きます。村の宿ラヴー亭に部屋を借り、近くに住むガシェ医師に診てもらうことになりました。7月29日に亡くなるまでの70日間に、ゴッホは74点の絵と33点の素描を残しています。「オーヴェルの教会」も「カラスのいる麦畑」も、この短い時期の作品です。
ガシェは1828年にリールで生まれた医師で、パリでホメオパシー(同種療法)の診療所を開き、1872年にオーヴェルに家を買いました。自分でも絵と版画を手がけ、「ポール・ファン・リセル」の名で作品を発表しています。ピサロ、セザンヌ、ルノワール、マネ、ギヨマンといった画家たちとも親しく、その作品を集めてもいました。妻ブランシュは1875年に亡くなり、ゴッホが訪れたころは娘マルグリットと息子ポールと暮らしていました。
ゴッホのガシェへの思いは揺れていました。6月初めの妹ヴィルへの手紙では、ガシェに友人を、そして新しい兄弟のようなものを見つけた、体つきも気質もよく似ているから、と書いています。同じ手紙で、ガシェ自身もひどく神経質で風変わりな人だとも書きました。一方でテオへの手紙では、ガシェ医師を当てにしてはいけない、自分と同じくらいか、それ以上に病んでいるように見える、と書いています。
7月27日、ゴッホは拳銃で自分を撃ち、2日後の7月29日、駆けつけたテオに見守られて37歳で亡くなりました。ガシェは葬儀にも参列しています。

憂うつな表情とジギタリス、手紙に書かれた肖像
ガシェはテーブルに右肘をつき、頭を右手に預けています。ゴッホはこの姿勢と表情で、一人の医師というより、自分たちの時代の人の顔を描こうとしました。ポール・ゴーギャンに宛てた書きかけの手紙では、この肖像の顔には私たちの時代の悲しみに沈んだ表情がある、と書いています。
1枚目を描いた6月初め、ゴッホは妹ヴィルに、ガシェの顔を焼けすぎたレンガのような色で描いたと伝えています。テオへの手紙には、黄色い本と紫の花をつけたジギタリスを描き込んだと書きました。黄色い本が描かれているのは1枚目だけで、オルセー版にはありません。
ジギタリス(キツネノテブクロ)は、心臓の薬の原料にもなる薬草です。医師という職業を示す持ち物として描かれたと考えられています。オルセー美術館は、薬として人を癒やすこの花を、画面の中でただ一つの希望のしるしと見ています。
1枚目では、群青の上着が明るい青の丘を背にし、テーブルは赤く塗られています。オルセー版はそれより色調が落ち着いています。どちらの版でも、顔や上着、背景にうねるような短い筆の跡が重ねられています。




2枚の「医師ガシェの肖像」と1990年の落札
2枚はどちらも1890年6月の作で、ガシェが右腕に頭を預けて座る同じ構図です。大きさもほぼ同じで、1枚目は約67×56cm、オルセー版は68×57cmです。違いがはっきりわかるのはテーブルの上で、1枚目には黄色い本が2冊とジギタリスが描かれ、オルセー版には本がありません。
1枚目はゴッホの死後、テオの妻ヨーの手元に残り、1897年にわずか300フランで売られました。その後いくつかの人の手を経て、1911年にドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館が購入します。しかし1937年、ナチス政権に「退廃芸術」として没収され、ヘルマン・ゲーリングの手で売り払われました。のちにジークフリート・クラマースキーの家族が持ち、ニューヨークのメトロポリタン美術館にたびたび貸し出されています。
1990年5月15日、クラマースキー家はこの絵をニューヨークのクリスティーズに出品しました。落札したのは大昭和製紙の名誉会長、齊藤了英です。価格は手数料込みで8,250万ドル、当時のレートで約125億円で、それまでに競売で売られたどの絵よりも高い値段でした。齊藤はその2日後、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も7,810万ドルで落札しています。
齊藤は、自分が死んだらこの絵を一緒に焼いてほしいという発言をしたと報じられ、世界中から批判を浴びました。のちに、絵への思いを表した言葉のあやだったと釈明しています。齊藤は1996年に亡くなり、絵は公開されないまま手放されました。その後の持ち主は公表されていません。2019年にシュテーデル美術館がこの絵をめぐる展覧会を開いた際も、探偵に調査を頼んだものの所在をつかめず、元の空の額縁が展示されました。
2枚目はガシェ自身が持ち続けた絵です。ガシェの死後、子のポールとマルグリットが1949年にフランス国家へ寄贈し、今はオルセー美術館が所蔵しています。1928年には、研究者のド・ラ・ファイユが1枚目に比べて弱い描き直しだと評したこともありますが、オルセー美術館は今もゴッホの作品として展示しています。

なぜ「医師ガシェの肖像」は語り継がれるのか
「医師ガシェの肖像」が特別なのは、ゴッホが一人の医師の顔を通して、自分たちの時代の人の顔を描こうとしたからです。手紙に書いたとおり、悲しげでありながら穏やかで知的な表情を、色と筆の跡だけで表しています。ゴッホが「アルルの寝室」で色にすべてを担わせたように、ここでも色が人物の内側を語っています。
ガシェとゴッホは、絵を描く者どうしでもありました。ゴッホはオーヴェルで、パイプをくわえたガシェの姿を銅版画(エッチング)にもしています。これはゴッホが生涯で作ったただ一つのエッチングです。
日本でこの絵の名前が広く知られたのは、1990年の落札がきっかけでした。その一方で、もう1枚はオルセー美術館で誰でも見ることができます。頭を手に預けた医師の姿は、描かれて130年以上たった今も、見る人に静かに語りかけています。
「医師ガシェの肖像」を見るには
美術館で見られるのは、パリ7区のオルセー美術館(Musée d’Orsay)にある2枚目です。ゴッホの作品は5階の展示室にまとまっていて、同じオーヴェルで描いた「オーヴェルの教会」や、アルル時代の「ローヌ川の星月夜」「アルルの寝室」、1889年の自画像も見られます。作品は貸し出しなどで展示されないこともあります。
オルセー美術館は後期印象派の作品を多く持つ美術館で、最寄り駅はメトロ12号線のソルフェリーノ駅です。入館料はオンライン購入で€16、月曜休館です。毎月第1日曜日は入館無料になります。
絵の舞台となったオーヴェル=シュル=オワーズにも、パリのサン=ラザール駅か北駅から、ポントワーズで乗り換えて1時間ほどで行けます。ガシェの家は「ガシェ医師の家」(Maison du docteur Gachet)として2003年から公開されていて、4月から10月まで無料で入れます。ゴッホが泊まったラヴー亭や、ゴッホとテオが並んで眠る墓地も村の中にあります。
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵「医師ガシェの肖像」をモチーフにした靴下と、この絵を含むオルセー美術館のゴッホ6作品をあしらったルービックキューブを取り扱っています。
よくある質問
「医師ガシェの肖像」はどこにある?
2枚あります。2枚目はパリのオルセー美術館が所蔵していて、5階のゴッホの展示室で見られます。1枚目は個人蔵で、1990年に日本の実業家が落札したあと手放され、今どこにあるかは公表されていません。
「医師ガシェの肖像」の値段は?
1枚目が1990年5月15日、ニューヨークのクリスティーズで8,250万ドル(手数料込み、当時のレートで約125億円)で落札されました。当時、競売で売られた絵としては史上最高額でした。落札したのは大昭和製紙名誉会長の齊藤了英です。オルセー美術館の2枚目は国の所蔵品なので、売りに出されることはありません。
「医師ガシェの肖像」は日本にある?
日本にはありません。1枚目は1990年に齊藤了英が落札して日本に渡りましたが、公開されないまま、齊藤が1996年に亡くなったあと手放されました。今の持ち主と所在は公表されていません。2枚目はパリのオルセー美術館にあります。
2枚の「医師ガシェの肖像」の違いは?
どちらも1890年6月に描かれた同じ構図の絵です。1枚目には、テーブルの上に黄色い本2冊とジギタリスが描かれています。オルセー美術館の2枚目には本がなく、色調も落ち着いています。1枚目はゴッホの遺族が売り、2枚目はガシェ自身が持ち続け、1949年にガシェの子どもたちがフランス国家に寄贈しました。
「ガシェ医師の肖像」「ガシェ博士の肖像」は同じ絵?
同じ絵です。原題はフランス語で「Portrait du docteur Gachet」で、日本では「医師ガシェの肖像」「ガシェ医師の肖像」「ガシェ博士の肖像」などと訳されています。
「医師ガシェの肖像」はいつ描かれた?
1890年6月、オーヴェル=シュル=オワーズで描かれました。ゴッホは5月20日にこの村に着き、7月29日に37歳で亡くなっています。1枚目は6月初めにはできていて、テオや妹ヴィルへの手紙にこの絵のことが書かれています。
ガシェ医師はどんな人?
ポール=フェルディナン・ガシェ(1828〜1909年)は、パリでホメオパシーの診療所を開いていた医師で、オーヴェルに家を持っていました。自分でも絵や版画を手がけ、ピサロやセザンヌなど画家たちとも親しくしていました。テオの勧めで、オーヴェルに移ったゴッホを診ました。
絵の中のジギタリスにはどんな意味がある?
ジギタリス(キツネノテブクロ)は心臓の薬の原料にもなる薬草で、医師という職業を示す持ち物と考えられています。オルセー美術館は、人を癒やすこの花を、画面の中でただ一つの希望のしるしと見ています。
「医師ガシェの肖像」のグッズはどこで買える?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵「医師ガシェの肖像」をモチーフにした靴下と、この絵を含むゴッホ6作品をあしらったルービックキューブを取り扱っています。