ゴッホ「オーヴェルの教会」とは?描かれた教会と故郷の記憶

紫の教会と、混じりけのないコバルトの空。ゴッホが最後の村で描いた一枚

フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェルの教会」(1890年)パリ・オルセー美術館所蔵

「オーヴェルの教会」とは

深く澄んだ青の空を背に、紫がかった石の教会が建っています。フィンセント・ファン・ゴッホが1890年6月、パリの北西にある村オーヴェル=シュル=オワーズで描いた「オーヴェルの教会」です。原題は「L’Église d’Auvers-sur-Oise, vue du chevet」(オーヴェル=シュル=オワーズの教会、後陣からの眺め)です。日本では「オーヴェールの教会」「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」とも呼ばれ、「オーベルの教会」「オヴェールの教会」と書かれることもあります。

大きさは縦94cm、横74cmの油彩画で、パリのオルセー美術館が所蔵しています。描かれたのは、村の丘の上に今も建つノートルダム=ド=ラソンプシオン教会です。オーヴェルの村を描いた絵の奥に小さく見えることはありますが、ゴッホがこの教会だけを画面いっぱいに描いたのはこの1枚だけです。

ゴッホは6月4日ごろ、教会の裏手にイーゼルを立て、後陣(祭壇側の丸く張り出した部分)を正面から描きました。翌日の妹ヴィルへの手紙では、この絵は昔オランダのニューネンで描いた古い塔と墓地の習作とほとんど同じだが、今は色がもっと表情豊かで、豪華になっていると書いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェルの教会」(1890年)紫がかった石壁と窓のディテール、オルセー美術館所蔵

制作の背景、最後の村オーヴェル

1890年5月16日、ゴッホは1年ほど過ごしたサン=レミの療養院を出ました。パリの弟テオの家に数日泊まったあと、5月20日にオーヴェル=シュル=オワーズに着きます。着いたその日の手紙で、ゴッホはオーヴェルはとても美しく、今では珍しくなった古い茅葺き屋根がたくさんあると書いています。

オーヴェルで頼りにしたのは、テオの勧めで診てもらうことになったガシェ医師でした。ゴッホは村の宿ラヴー亭に部屋を借り、ガシェの家にも通いながら描き続けます。「オーヴェルの教会」を描いたのは着いて2週間ほどのころで、同じ6月には「医師ガシェの肖像」も描いています。

オーヴェルにいた70日間に、ゴッホは74点の絵と33点の素描を残しました。1日1点を超える速さです。7月には横長の画面に麦畑を描き、「カラスのいる麦畑」もその一つです。7月27日、ゴッホは拳銃で自分を撃ち、2日後の7月29日に37歳で亡くなりました。「オーヴェルの教会」を描いてから2か月ほど後のことです。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)パリ・オルセー美術館所蔵

紫の教会とコバルトの空、手紙に書かれた色

ゴッホは妹ヴィルへの手紙で、この絵の色を詳しく説明しています。建物は、混じりけのないコバルトの、深く単純な青の空を背に紫がかって見えます。ステンドグラスの窓は群青の斑点のように見え、屋根は紫で一部がオレンジです。手前には花の咲く緑が少しと、日に照らされたピンクの砂があります。

手前の道は教会の前で左右に分かれ、建物の両脇へ回り込んでいます。手紙のとおり、この道はもとはピンクがかった色でした。今はくすんだベージュに見えますが、これはゴッホが使った赤い絵具が光で色あせたためです。

明るいのは手前の草地と道で、教会そのものは自分の影の中にあり、光を受けても放ってもいないように描かれています。空は上にいくほど暗くなり、夜の空のようにも見えます。昼の地面と夜のような空がひとつの画面に同居していることが、この絵の不思議な印象を生んでいます。道には、急ぎ足で通り過ぎる女性が素早い筆で小さく描かれていますが、教会と違ってこの女性には影がありません。

オルセー美術館は、同じ教会を時間ごとの光で描き分けたモネの「ルーアン大聖堂」の連作と比べ、ゴッホは光をとらえることよりも、建物の性格を表すことに心を向けたと解説しています。色と形を感じたままに強めるこの描き方は、のちのフォーヴィスムや表現主義を先取りするものでした。ゴッホが後期印象派を代表する画家の一人に数えられるのは、こうした仕事があるからです。

ゴッホ「オーヴェルの教会」ディテール、紫がかった石壁の筆の跡ゴッホ「オーヴェルの教会」ディテール、青いステンドグラスの窓ゴッホ「オーヴェルの教会」ディテール、深い青の空ゴッホ「オーヴェルの教会」ディテール、左右に分かれる道と前景

故郷ニューネンの記憶と、ゴッホと教会

ゴッホ自身がこの絵と結びつけたのが、オランダのニューネン時代です。ゴッホは1883年から1885年まで、父が牧師を務めるこの村で暮らし、「ジャガイモを食べる人々」など農民の暮らしを描きました。村の畑の中には、教会が崩れたあとに塔だけが残った古い教会の塔があり、そのまわりは農民の墓地になっていました。ゴッホはこの塔を何度も描いています。

ゴッホ美術館が所蔵する「ニューネンの古い教会の塔(農民の墓地)」(1885年)は、取り壊されかけた塔と、耕した土に眠る農民の墓を描いた絵です。ゴッホ美術館は、ゴッホが崩れゆく塔を宗教のはかなさのしるしと見ていたと解説しています。1885年に亡くなった父も、この墓地に葬られました。それから5年後、フランスの村の教会を前にして、ゴッホは同じ主題に戻ってきたことになります。

ゴッホは牧師の家に生まれ、若いころは自分も伝道者を目指しましたが、やがて教会という組織からは離れていきました。オーヴェルの教会はカトリックの教会ですが、その宗教的な意味はゴッホにとってあまり大きくなかったと、英国の美術紙ジ・アート・ニュースペーパーは指摘しています。ゴッホが亡くなったとき、自殺を罪とみなすカトリックの考えから、村の司祭は葬儀のための霊柩車を貸すことを断りました。

現在のオーヴェル=シュル=オワーズのノートルダム=ド=ラソンプシオン教会、ゴッホが描いた建物が今も残る

なぜ「オーヴェルの教会」は今も語り継がれるのか

「オーヴェルの教会」は、ゴッホの最後の2か月を代表する一枚です。7月29日にゴッホが亡くなると、棺はラヴー亭に置かれ、そのまわりにはこの絵を含む最後の作品が並べられました。

絵はガシェ医師の手に渡り、ガシェは自宅の暖炉の上に掛けていました。ガシェの死後、息子のポールはこの絵をほとんど人に見せず、写真に撮ることも許さなかったといいます。1951年、ポールの協力と匿名の寄付によってフランス国家が買い取り、ルーヴル美術館のジュ・ド・ポーム館を経て、今はオルセー美術館に収められています。

2023年には、ゴッホ美術館とオルセー美術館が共同で開いた展覧会「オーヴェル=シュル=オワーズのゴッホ、最後の数か月」で、この絵がアムステルダムとパリで展示され、図録の表紙にもなりました。道が奥で分かれていく構図は、翌月の「カラスのいる麦畑」にも見られますが、日の光に満ちた「オーヴェルの教会」の画面は、それとはまったく違う空気をたたえています。

この絵は今もさまざまな作品に登場します。2010年には英国のテレビドラマ「ドクター・フー」の一話「ヴィンセントとドクター」で、物語の始まりとなる絵として使われました。

「オーヴェルの教会」を見るには

「オーヴェルの教会」は、パリ7区のオルセー美術館(Musée d’Orsay)5階のゴッホの展示室で見られます。5階では、同じ6月に描かれた「医師ガシェの肖像」や、アルル時代の「ローヌ川の星月夜」「アルルの寝室」なども見られます。作品は貸し出しなどで展示されないこともあります。

最寄り駅はメトロ12号線のソルフェリーノ駅で、入館料はオンライン購入で€16、月曜休館です。毎月第1日曜日は入館無料になります。

描かれた教会は、オーヴェル=シュル=オワーズの村に今も建っています。おもに12世紀から13世紀にかけて建てられた、ロマネスクとゴシックが混じる教会です。ゴッホが描いたのと同じ後陣側に回れば、絵と見比べることができます。パリのサン=ラザール駅か北駅から、ポントワーズで乗り換えて1時間ほどです。教会の近くの墓地にはゴッホとテオが並んで眠り、ゴッホが泊まったラヴー亭も村の中にあります。

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵「オーヴェルの教会」をモチーフにしたスノードームと、150ピースのマイクロパズルを取り扱っています。どちらも2023年の展覧会に合わせて作られたものです。

よくある質問

ゴッホ「オーヴェルの教会」はどこにある?

パリのオルセー美術館が所蔵していて、5階のゴッホの展示室で見られます。入館料はオンライン購入で€16、月曜休館です。描かれた教会そのものは、パリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに今も建っています。

「オーヴェールの教会」「オーベルの教会」と同じ絵?

同じ絵です。村の名前 Auvers の読み方の違いで、「オーヴェルの教会」「オーヴェールの教会」「オーヴェル=シュル=オワーズの教会」「オーベルの教会」「オヴェールの教会」などと書かれます。原題は「L’Église d’Auvers-sur-Oise, vue du chevet」です。

「オーヴェルの教会」はいつ描かれた?

1890年6月、6月4日ごろに描かれました。ゴッホが5月20日にオーヴェル=シュル=オワーズに着いてから2週間ほど後で、7月29日に亡くなる2か月ほど前の作品です。

「オーヴェルの教会」の大きさは?

オルセー美術館の記録で縦94cm、横74cmの油彩画です。

描かれた教会は今もある?名前は?

あります。オーヴェル=シュル=オワーズのノートルダム=ド=ラソンプシオン教会で、おもに12世紀から13世紀にかけて建てられました。近くの墓地にはゴッホと弟テオの墓があります。

ゴッホは教会をなぜこんな色で描いたの?

ゴッホは妹への手紙で、建物は混じりけのないコバルトの青い空を背に紫がかって見えると書き、ニューネンで描いた古い塔の習作より色がもっと表情豊かで豪華になったと説明しています。オルセー美術館は、ゴッホが光をとらえることより建物の性格を表すことに心を向けたと解説しています。

ゴッホが描いた教会の絵はほかにもある?

オランダのニューネン時代に、畑の中の古い教会の塔と農民の墓地を何度も描いています。代表的なのがゴッホ美術館所蔵の「ニューネンの古い教会の塔(農民の墓地)」(1885年)で、ゴッホ自身が「オーヴェルの教会」をこのころの習作とほとんど同じだと手紙に書いています。

ゴッホ「オーヴェルの教会」のグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズとして、オルセー美術館所蔵「オーヴェルの教会」をモチーフにしたスノードームと、150ピースのマイクロパズルを取り扱っています。