ゴッホ「雨の大橋(広重による)」とは?広重の浮世絵を写した油彩と漢字の縁
パリで集めた浮世絵の1枚、広重の「大はしあたけの夕立」を油絵具で写し、色を強め、文字の縁で囲んだ1887年の作品

私の仕事はすべて、ある程度は日本の芸術を土台にしています。
「雨の大橋(広重による)」とは
激しい夕立の中、大きな木の橋を人々が背を丸めて渡っていきます。笠をかぶる人、傘を差す人。川にはさおを差して進むいかだが浮かび、空からは濃い青の雨の線が何本も落ちてきます。フィンセント・ファン・ゴッホが1887年10月から11月にパリで描いた「雨の大橋(広重による)」(英語 Bridge in the Rain (after Hiroshige))です。
大きさは73.3×53.8cmの油彩画で、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています。元になったのは、歌川広重が1857年に出した浮世絵「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」です。ゴッホは自分で持っていたこの版画を油絵具で写し、色を強め、まわりに日本の文字を並べた緑と赤の縁を描き足しました。
ゴッホ(1853〜1890)はオランダ生まれの画家です。1886年から2年ほどパリで暮らしたのち南仏アルルへ移り、1890年に37歳で亡くなりました。パリ時代に日本の版画を熱心に学んだことは、のちの明るい色と太い輪郭線の絵につながっていきます。「雨の大橋」は、その学びをはっきり見せてくれる1枚です。

制作の背景、パリで出会った日本の版画
ゴッホ美術館によれば、ゴッホが初めて日本の木版画をまとめて買ったのは、ベルギーのアントワープにいたころでした。1886年の初め、画商として働く弟テオのいるパリへ移ると、兄弟で日本の版画を集めていきます。
1886年から87年にかけての冬、ゴッホはパリの美術商ジークフリート・ビングの店で660枚の木版画を買いました。店の屋根裏には何千枚もの版画が安い値段で置かれていて、ゴッホは有名な作品や高価な作品ではなく、明るい色と目を引く題材のものを選んでいます。はじめは版画を売る商売を考えていましたが、その計画は実を結ばず、1887年のうちに版画をじっくり研究するようになりました。
その年の秋、ゴッホは日本の版画をもとにした油彩を3点描きます。広重の梅の絵を写した「花咲く梅の木」、渓斎英泉の花魁を写した「花魁」、そしてこの「雨の大橋」です。このページの画像は、同じ1887年の9月から10月にパリで描いた「灰色のフェルト帽の自画像」で、こちらもゴッホ美術館が所蔵しています。
翌1888年7月15日、アルルからテオに宛てた手紙(書簡番号640)には、こう書いています。
「私の仕事はすべて、ある程度は日本の芸術を土台にしています。」

技法と色彩、広重の版画をどう変えたか
ゴッホは広重の構図をほとんどそのまま写しています。そのうえで、ゴッホ美術館は、ゴッホが色を元の版画よりも強くしたと説明しています。木版の平らな色を、油絵具の筆あとの重なりに置きかえているのも大きな違いです。
雨は、細い筆で引いた濃い青の長い線で描かれています。空には短い筆あとが重なり、その上を雨の線が何本も走っています。
川の水面は、緑や黄緑、青の短い筆づかいで塗られています。その上を、さおを差していかだを進める人がひとり。版画では摺りの色で表された水が、絵具の筆あとで動きのある面に変わっています。
橋を支える橋脚は、紫がかった色や緑で塗られ、くっきりした輪郭で縁どられています。橋の下の川は深い青で、黄色い橋板との対比が強く出ています。
絵のまわりには、緑の地に赤で文字を書いた縁があり、その外側を赤い帯が囲んでいます。角には黄色やオレンジの小さな札が描かれ、そこにも文字が書きこまれています。




原画は広重の「大はしあたけの夕立」
元になった版画は、歌川広重(1797〜1858)の連作「名所江戸百景」の1枚です。ブルックリン美術館によれば、この連作は1856年から1858年にかけて出版された118枚の木版画で、江戸の名所を描いています。「大はしあたけの夕立」は1857年(安政4年)9月の刊行で、版元は魚屋栄吉です。このページの画像は、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する1枚です。
描かれているのは、江戸の隅田川にかかる大橋(新大橋)です。クリーヴランド美術館は、1855年の大地震と大火の2年後に出たこの版画が建て直された大橋を描いていて、遠くにはあたけの町が見えると説明しています。突然の雨の中、人々は身を守りながら、橋を左右から渡っていきます。
ゴッホが持っていた「大はしあたけの夕立」は、今もゴッホ美術館にあります。同館の作品データには、ゴッホがこの版画に刺したピンの穴が記録されています。ゴッホはパリの部屋の壁に版画をピンで留めていて、その穴が残っている版画は少なくありません。壁に留めて眺めていた版画の1枚を、ゴッホは油絵具で写したことになります。

縁の文字はどこから来たのか
広重の版画とゴッホの絵を見比べると、いちばん大きな違いは縁です。ゴッホ美術館によれば、ゴッホはこの絵を、決まった大きさで売られている画布に描きました。元の版画の縦と横の比率を保とうとしたため、画布の余った部分を縁として残し、そこをほかの版画から写した日本の文字で埋めたのです。
ゴッホ美術館がGoogle Arts & Cultureで公開している解説では、縁の文字は、ほかの絵師による2枚の版画をもとにしたものとされています。広重の版画にある題名や名所の名前を写したわけではありません。
日本語を読む人が見ると、縁の中には、江戸の遊郭の名である「吉原」と読める字があります。一方で、形がくずれて読めない字も多く混じっています。同じころに描いた梅の絵の縁について、ゴッホ美術館は、装飾と異国らしさのために日本の文字を描き加えたと説明しています。Google Arts & Cultureの解説も、ゴッホがあざやかな色の縁を文字で飾ったと書いています。
3点の模写、「花咲く梅の木」と「花魁」
「花咲く梅の木(広重による)」は、同じ1887年10月から11月に描かれた55.6×46.8cmの油彩で、ゴッホ美術館が所蔵しています。元になったのは、同じ「名所江戸百景」の「亀戸梅屋舗」(1857年)です。ゴッホ美術館は、3点の模写のうち最初がこの梅の絵で、構図を正確に写しながら色をずっと強くし、広重が黒と灰色で描いた木の幹を赤と青の色調に替え、日本の文字を書いたオレンジの縁を2本加えたと説明しています。このページの画像がその絵です。同館には、ゴッホがこの版画を紙に写しとった素描(38.3×26.2cm)も残っています。
「花魁(渓斎英泉による)」は100.7×60.7cmと3点の中でいちばん大きく、木綿の布に描かれています。元になったのは、1886年に雑誌『パリ・イリュストレ』の表紙に複製された英泉の木版画で、ゴッホは格子を使って人物を写し、大きく引きのばしました。
3点の模写のあと、ゴッホは浮世絵を写すだけでなく、自分の絵の中に取りこむようになります。同じ1887年の「タンギー爺さんの肖像」や、1889年1月の「耳に包帯をした自画像」の背景には日本の版画が描かれ、1890年2月の「アーモンドの花」では、花の咲く枝を間近に大きく描いています。

なぜ「雨の大橋」は今も語り継がれるのか
1888年2月、ゴッホはパリを離れて南仏アルルへ移りました。着いて間もない3月18日、画家仲間のエミール・ベルナールに宛てた手紙(書簡番号587)は、こう始まります。
「この土地は、空気の澄みぐあいと明るい色の効果では、日本と同じくらい美しく思えます。」
同じ手紙には、アルルの運河にかかる跳ね橋を描いた習作のスケッチが添えられ、同じ跳ね橋を洗濯をする女性たちと描いた習作もあると書かれています。パリで広重の橋を写したゴッホは、南仏で自分の目の前の橋を描きはじめていました。その年の9月には、日本の版画をすべてアトリエに並べたとテオに知らせ、同じ手紙(書簡番号686)でこう書いています。
「日本の芸術を学べば、ずっと明るく、ずっと幸せにならずにはいられないと思うのです。」
ゴッホ美術館は、アルルに移った1888年から、ゴッホの構図は平らになり、色は強く、輪郭ははっきりし、装飾的な模様が増えたと説明しています。広重の版画を一筆ずつ写した「雨の大橋」は、その変化の前に、ゴッホが日本の版画から何を学ぼうとしていたかを見せてくれる1枚です。
「雨の大橋」を見るには、ゴッホ美術館とグッズ情報
「雨の大橋(広重による)」は、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が所蔵しています。2026年11月1日の時点で、同館の作品ページには展示中と表示されています。展示の入れ替えや貸し出しもあるため、この絵を目当てに行く場合は、出かける前に作品ページで確かめると安心です。
ゴッホ美術館は毎日開館しています。2026年11月2日からは9時から17時までで、金曜はおおむね21時まで開いています。入館券はオンラインだけの日時指定制で、大人€25(2027年1月1日から€26)、18歳未満は無料です。「花咲く梅の木(広重による)」と「花魁(渓斎英泉による)」も同館の所蔵で、ゴッホが集めた日本の版画の多くも同館にあります。
広重の「大はしあたけの夕立」は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やクリーヴランド美術館なども所蔵しています。
Museum Boxでは、オルセー美術館所蔵のゴッホ「ローヌ川の星月夜」をモチーフにした傘、扇子、トートバッグ(フランス国立美術館連合 RMN-GP のミュージアムグッズ)と、ゲッティ美術館所蔵の「アイリス」をあしらった扇子を取り扱っています。
よくある質問
ゴッホの「雨の大橋(広重による)」はどこにある?
オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵しています。2026年11月1日の時点で、同館の作品ページには展示中と表示されています。入館は日時指定のオンライン予約制です。
「雨の大橋」はいつ、どこで描かれた?
1887年10月から11月に、パリで描かれました。ゴッホが弟テオと暮らしていたころで、同じ時期に広重の梅の絵を写した「花咲く梅の木」と、英泉の版画をもとにした「花魁」も描いています。
元になった浮世絵は何?
歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」です。1857年(安政4年)9月の刊行で、江戸の隅田川にかかる大橋(新大橋)に夕立が降る場面を描いています。ゴッホが持っていた1枚は、今もゴッホ美術館にあります。
「雨の大橋」のサイズは?
ゴッホ美術館の表記では73.3×53.8cmの油彩画です。縦長の画面で、絵のまわりを文字の縁が囲んでいます。
縁に書かれた文字には意味があるの?
ゴッホ美術館によれば、ゴッホは元の版画の縦横の比率を保つために縁を残し、ほかの版画から写した日本の文字で埋めました。「吉原」と読める字もありますが、形がくずれて読めない字も多く、絵の題名や場所を書いたものではありません。
ゴッホが浮世絵を写した油彩は何点ある?
ゴッホ美術館によれば、1887年の秋に描いた3点です。広重による「花咲く梅の木」と「雨の大橋」、渓斎英泉による「花魁」で、いずれもゴッホ美術館が所蔵しています。
Museum Boxで買えるゴッホのグッズは?
Museum Boxでは、オルセー美術館所蔵のゴッホ「ローヌ川の星月夜」をモチーフにした傘、扇子、トートバッグと、ゲッティ美術館所蔵の「アイリス」をあしらった扇子を取り扱っています。