ゴッホ「赤い葡萄畑」とは?生前に売れた絵として知られる、アルルの収穫の夕暮れ

モスクワのプーシキン美術館にある、燃えるような夕日と葡萄を摘む人々の絵

フィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑(アルルの赤い葡萄畑、モンマジュール)」(1888年11月)モスクワ、プーシキン美術館所蔵

「赤い葡萄畑」とは

右上に白く燃える太陽、その光を映して黄色に光る川。手前には、真っ赤に色づいた葡萄畑が広がり、女性たちが腰をかがめて葡萄を摘んでいます。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)の「赤い葡萄畑」です。

所蔵はモスクワのプーシキン美術館です。館の所蔵品カタログでは、題名は「アルルの赤い葡萄畑、モンマジュール」、制作は1888年11月です。カンヴァスに油彩で、大きさは縦73cm、横91cmです。館に入ったのは1948年です。

館の解説によると、ゴッホはこの絵を1888年11月の初め、アルルの近くのモンマジュール修道院のあたりで、葡萄の収穫の時期に仕上げました。この絵は、ゴッホが生きているあいだに売れた絵として知られています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」(1888年11月)葡萄を摘む人々と川の部分。プーシキン美術館所蔵

制作の背景、ゴーギャンと見た日曜日の葡萄畑

1888年10月23日、画家のポール・ゴーギャンがアルルに着き、ゴッホの借りていた黄色い家で一緒に暮らしはじめました。プーシキン美術館は、「赤い葡萄畑」がゴーギャンの到着からまもない11月初めに描かれ、2人が初めて一緒に制作した時期の絵だと紹介しています。

1888年11月3日ごろ、ゴッホは弟テオへの手紙にこう書いています。「日曜日に君も一緒にいたらよかったのに。赤い葡萄畑を見たんだ。赤ワインのように真っ赤だった。遠くでは黄色になり、その上に太陽のある緑の空。雨のあとの地面は紫で、沈む夕日を映して、あちこちで黄色くきらめいていた」(nous avons vu une vigne rouge, toute rouge comme du vin rouge.)。

同じ手紙で、ゴッホは「今は、赤紫と黄色の葡萄畑を描いている」と書いています。そしてゴーギャンについては、葡萄畑の女たちを「まったく記憶だけで」描いていて、だめにしたり途中でやめたりしなければ、とても美しく変わった絵になるだろう、と伝えています。

プーシキン美術館によると、ゴーギャンが描いたその絵は「アルルの葡萄の収穫」、別の題で「人間の悲惨」と呼ばれています。同じ景色から、2人はまったく違う絵を描いたことになります。

フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの女(ジヌー夫人)」(1888〜89年)ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵。アルルのカフェの女主人マリー・ジヌーを描いた絵です

技法と色彩、燃える太陽と、灰になった葡萄の葉

プーシキン美術館は、この絵の太陽を、ゴッホの描き方がよく表れた部分として紹介しています。赤い輪郭のはっきりした燃える円盤で、まわりのすべてを焼きこがしているように見えます。館は、手前の葡萄の葉が青や紫、黒で描かれているのを、太陽に焼かれて灰になった世界だと説明しています。

館によると、空と太陽の一部は絵の具がとても厚く、ゴッホはチューブから絵の具をカンヴァスに直接しぼり出し、筆だけでなく自分の指も使ったと考えられます。黄色の絵の具はクロム酸鉛で、紫外線に当たると暗くなる性質があります。館は、100年前のこの絵は今よりさらに明るかったとしています。

館は、画面の上のほうに引かれた地平線を、ゴッホの晩年の絵の特徴としています。上から見下ろすこの構図は、日本の美術の影響によるものとよく言われると館は紹介しています。

日傘の女性のそばの黄色い畑には、別のカンヴァスの跡が写っているところがあります。館の説明では、ゴッホは絵が仕上がると木枠から外し、丸めてパリのテオに送っていました。この絵は絵の具が十分に乾かないうちに、ほかのカンヴァスと重ねられたと考えられています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」右上の太陽と黄色い空のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」日傘を差す女性と葡萄を摘む人々のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」川の近くの白いショールの女性のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」手前のかごを持つ女性のディテール

X線でわかった描き替えと、白いショールの女性

プーシキン美術館によると、ゴッホは野外で手早く描き、あとで細かいところを変えたり描き足したりすることがよくありました。この絵をX線で調べると、道にいる人物は、もとは男性ではなく女性でした。スカートと白いブラウス、帽子がはっきり見えるそうです。なぜ描き替えたのかは、推測するしかないと館は書いています。

手前の、かごを持って身をかがめる女性も、葡萄畑を描いたあとで加えられました。うすい青の絵の具の下から、赤が光るようにすけて見えるのがその証拠です。

館は、川のそばの白いショールの女性について、多くの研究者がマリー・ジヌーだと考えていると紹介しています。ジヌー夫妻は駅前の広場でカフェを営み、ゴッホがアルルに来た頃に部屋を貸していました。ゴッホは「夜のカフェ」でその店内を描き、ジヌー夫人の肖像「アルルの女」も描いています。ゴーギャンも、同じ店を「アルルのカフェ」に描きました。この絵はプーシキン美術館が持っています。

館は、ほかの人たちのように重い仕事をせず、少し横を向いて描かれたジヌー夫人の姿を、ゴッホから心やさしい女性への敬意だろうとしています。

アンナ・ボックが買った絵、そして「唯一」の意味

プーシキン美術館の解説によると、この絵は1890年にブリュッセルの展覧会に出品され、色の力強さと心をゆさぶる表現で注目を集めました。展覧会のすぐあと、ベルギーの画家アンナ・ボックが350フランで買っています。

館の修復のページは、この絵を、ゴッホが生きているあいだに売れたことが記録で確かめられる、ただ一つの作品と紹介しています。

一方、アムステルダムのゴッホ美術館は、ゴッホが生きているあいだに何点売れたかは正確にはわからないものの、2、3点よりは多いと説明しています。館によると、ゴッホの最初の注文は、画商だったおじのコルからで、ハーグの町の景色を19点頼まれました。最初に売れた絵はパリの画材商タンギー爺さんへのもので、テオもロンドンの画廊に1点を売っています。

ゴッホ美術館によると、アンナ・ボックは、ゴッホの友人だった画家ウジェーヌ・ボックの姉です。ゴッホはほかの画家と絵を交換することも多く、館は、その意味ではゴッホは生きているあいだにかなり多くの作品を「売って」いたとしています。

60年以上モスクワを出ていない絵

プーシキン美術館によると、「赤い葡萄畑」は60年以上、一度もモスクワから出ていません。館の19〜20世紀のヨーロッパとアメリカの美術を見せる建物で、中心となる絵のひとつとして展示されてきました。

館は、この絵を最新の科学的な方法で調べ、保存の状態を守るための研究と修復の計画を進めました。館は、描かれてから130年のあいだ、こうした調べ方で研究されたことはなかったとしています。所蔵品カタログには、2021年の修復後の写真が載っています。

絵を描いた翌年の1889年5月、ゴッホはアルルの近くのサン=レミの療養院に入ります。それでも、アルルの畑で描いたこの絵は、翌年ブリュッセルで買い手に出会いました。

「赤い葡萄畑」を見るには、プーシキン美術館とグッズ情報

「赤い葡萄畑」は、モスクワのプーシキン美術館が所蔵しています。展示されている建物や、開館の時間、入館料は替わることがあるので、出かける前に館のサイトで確かめてください。海外へ出かける前には、外務省の海外安全情報も確かめてください。

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズを扱っています。アルル時代のゴッホ「アルルの寝室」のポスターや、「ローヌ川の星月夜」のスノードーム、扇子など、日常を彩るアートグッズをお届けします。

よくある質問

ゴッホの「赤い葡萄畑」はどこにある?

モスクワのプーシキン美術館が所蔵しています。館に入ったのは1948年です。館によると、60年以上モスクワから出ていません。

「赤い葡萄畑」はいつ描かれた?

1888年11月の初めです。南フランスのアルルの近くで、画家のゴーギャンがアルルに来てまもない頃に描かれました。

「赤い葡萄畑」の大きさは?

プーシキン美術館の所蔵品カタログでは、縦73cm、横91cmです。カンヴァスに油彩で描かれています。

「赤い葡萄畑」はゴッホが生前に売った唯一の絵?

プーシキン美術館は、生前に売れたことが記録で確かめられる唯一の作品としています。一方、ゴッホ美術館は、何点売れたかは正確にはわからないが2、3点より多いと説明しています。この絵は1890年にアンナ・ボックが買いました。

誰が「赤い葡萄畑」を買った?

ベルギーの画家アンナ・ボックです。ゴッホの友人だった画家ウジェーヌ・ボックの姉で、プーシキン美術館によると、1890年のブリュッセルの展覧会のあとに350フランで買いました。

ゴッホの絵のグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズを販売しています。「アルルの寝室」のポスターや「ローヌ川の星月夜」のスノードームなど、日常を彩るアートグッズをお届けしています。