ゴッホの自画像は何枚?35点超の一覧と「最後の自画像」を解説

1889年9月、サン=レミの療養所——渦巻く青と向き合い続けた孤独な画家の眼差し

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)パリ・オルセー美術館所蔵
私は、100年後の人々に幻影のように見える肖像を描きたい

ゴッホ「自画像」(1889年)とは

鋭く、それでいてどこか哀愁を帯びた視線——フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)が1889年9月に描いた「自画像(Portrait de l'artiste)」は、縦65cm×横54.2cmの油彩画です。現在はパリのオルセー美術館(5階)に所蔵され、世界で最も広く知られた肖像画のひとつとして年間数百万人の来館者を惹きつけています。1949年にガシェ家から国家へ寄贈されたものです。

渦を巻くような青緑の背景——これはゴッホが「星月夜」(1889年)でも用いた渦巻き状の筆触で描かれており、同時期の作品群との連続性を強く感じさせます。淡いグレーブルーのジャケットに身を包んだゴッホの表情は硬く引き結ばれ、その鋭い青灰色の瞳には深い自省と緊張が刻まれています。燃えるようなオレンジの顎髭と髪が、支配的な青緑の色調に対して補色の対比をつくり出しています。

ゴッホは生涯で油彩だけでも35点を超える自画像を制作しました(フィンセント・ファン・ゴッホ美術館は「35点を下らない」とし、数え方や真贋の議論により諸説あります。素描を含めればさらに多くなります)。「金がないのでモデルが雇えない。だから私は自分自身をモデルにして描く」——これがゴッホが自画像を描き続けた主な理由でした。しかしそれは単なる経済的事情にとどまらず、鏡を通じた自己探求と、絵画という媒体への深い問いかけを意味していました。1889年9月のこの「自画像」は、その長い探求の到達点のひとつです。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)詳細——鋭い視線と渦巻く背景

制作の背景——サン=レミ療養所の苦闘と自画像シリーズ

1889年5月、ゴッホはアルルでの「耳切り事件」(1888年12月)の後遺症と精神的不安定を理由に、自らの意思でサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール=ド=モゾール精神病院に入院しました。療養所での生活は制限が多く、外出も許可制。ゴッホは院内に与えられたアトリエで絵画を描くことに命綱のすがりつきました。

この時期のゴッホの生産性は驚異的でした。サン=レミ滞在中の約1年間(1889年5月〜1890年5月)に、油彩だけで約150点、素描を合わせれば250点を超える作品を制作しています。この1889年9月の「自画像」もその一点です。少し前の8月末から9月初めにかけては、パレットと絵筆を持った自画像(現・ワシントンDC国立美術館所蔵)も手がけており、異なる角度から自身を描くことで精神の安定を図ろうとしていたことがわかります。

後年(1890年6月)、妹ウィレミーンに宛てた手紙の中で、ゴッホは肖像画にかける思いをこう書き残しています——「私は、100年後の人々に幻影のように見える肖像を描きたい」。単なる「似顔絵」ではなく、「時代を超えた亡霊」としての肖像——この高い目標意識が、オルセーのこの一枚にも確かに息づいています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像(パレットを持つ)」(1889年)ワシントンDC・国立美術館所蔵

技法と色彩——渦巻く筆触と補色の対決

「自画像」を際立たせる最大の特徴は、渦巻くような短い筆触の連鎖です。背景の青緑の渦は、流体のように動き回り、静止した画面に生命的なエネルギーをもたらしています。これは同時期に制作された「星月夜」(1889年6月)とも共通する技法で、ゴッホが単に「見えるもの」を描くのではなく、感情とエネルギーを筆触によって表現しようとしていたことを示しています。

色彩の構成も精巧に計算されています。支配的な青緑(コバルト系とエメラルド系を混合した独自の調合)に対して、ゴッホの顎髭と眉は燃えるようなオレンジと赤で描かれています。この青とオレンジは色相環上の補色関係にあり、互いを最大限に引き立て合います。ゴッホは1885年頃から補色理論(シュヴルールやドラクロワの理論)を意識的に研究しており、この自画像にはその成熟した応用が見られます。

皮膚の描き方にも注目すべき技巧があります。額や頬の薄い皮膚には、短い平行の筆触が幾重にも重ねられ、複数の色(ローズ、グリーン、イエロー)が混じり合うことで生身の肌の複雑な色相が再現されています。ゴッホが「日本の浮世絵から学んだ」と語る大胆なアウトラインの効果も、顎髭の境界線や耳の輪郭に確認できます。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)——鋭い目の表情のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)——渦巻く背景筆触のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)——顔と上半身のディテールフィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」(1889年)——ジャケットと背景の筆触ディテール

数多くの自画像——画家として生きることへの問いかけ

ゴッホが自画像を描き始めたのは1886年、パリに移住した年のことです。パリのコルモンのアトリエや印象派の画家たちとの交流の中で、ゴッホは急激に画風を変革させていきました。初期のパリ期の自画像(1886〜1888年)は麦わら帽子をかぶったものや様々な角度から試みた習作的作品が多く、画家としての実験の場となっていました。

アルル期(1888年2月〜1889年5月)になると自画像は質的な変化を遂げます。「仕事着を着た画家の自画像」「包帯を巻いた自画像」——これらには強い自意識と、自分の状態を記録しておこうという意志が感じられます。「包帯を巻いた自画像」(1889年、コートールド美術館)は耳切り事件直後に描かれたもので、ゴッホの精神状態を最も直接的に表した作品のひとつです。

サン=レミ期(1889〜1890年)の自画像は、それ以前の作品と比べて大きな落ち着きを持ちます。渦巻く背景の中に据えられた表情は凝縮され、自己と直接向き合う強度が増しています。このオルセーの「自画像」はその代表格で、ゴッホの精神的探求の集大成とも言えます。彼はサン=レミを出た翌年1890年7月に37歳で死去したため、1889年9月のこの自画像は最晩年に属する作品です。

ゴッホの自画像は何枚?主要な自画像一覧(年代順)

ゴッホは油彩だけでも35点を超える自画像を残しました(フィンセント・ファン・ゴッホ美術館は「35点を下らない」とし、数え方や真贋の議論により諸説あります)。時期別に見ると、その大半は1886〜88年のパリ時代に集中し(25点以上)、アルル期・サン=レミ期はそれぞれ数点ずつ。最晩年のオーヴェル期(1890年)には自画像を1点も描いていません。

そのうち特に重要な作品を年代順に並べると、パリ期からサン=レミ期までの画風の変化と、それぞれの作品が今どこの美術館にあるかがひと目でわかります。

  • 1887年「麦わら帽子の自画像」——パリ期。明るい色調と点描風の筆触。ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵。
  • 1887年「灰色のフェルト帽の自画像」——パリ期。点描の影響を受けた明るい色調と細かな筆触。アムステルダム・ゴッホ美術館所蔵。
  • 1887〜88年「画家としての自画像」——イーゼルとパレットを手にした、画家としての自意識を示す一枚。アムステルダム・ゴッホ美術館所蔵。
  • 1888年「ポール・ゴーギャンに捧げる自画像」——アルル期。共同生活を前にゴーギャンへ贈った作品。ハーバード大学美術館(フォッグ)所蔵。
  • 1889年1月「耳に包帯をした自画像」——耳切り事件の直後に制作。背景に日本の版画が描かれている。ロンドン・コートールド美術館所蔵。
  • 1889年8月末〜9月「パレットを持つ自画像」——サン=レミ療養所期。オルセー版よりやや先に描かれた。ワシントンDC・国立美術館所蔵。
  • 1889年9月「自画像」——渦巻く青緑の背景が特徴。最後期の自画像のひとつで、「最後の自画像」の有力候補とされる代表作。パリ・オルセー美術館所蔵。

「最後の自画像」がどれかには諸説あり、オルセー版(1889年9月、テオに贈られたもの)のほかに、1889年9月に母へ贈った「髭のない自画像」を挙げる説もあります(後者は1998年のオークションで約7,150万ドルで落札されました)。

最も有名なのは、本記事で取り上げているオルセー美術館の「自画像」(1889年9月)と、耳切り事件の直後に描かれた「耳に包帯をした自画像」(1889年1月)の2点です。

なぜ「自画像」は今も語り継がれるのか

ゴッホの「自画像」が20世紀以降に爆発的な知名度を獲得した背景には、美術的評価だけでなく、彼の波乱の生涯と作品との不可分な結びつきがあります。精神の苦しみを抱えながら筆を離さなかった画家の像は、20世紀の「苦悩する芸術家」というイメージの原型となりました。この自画像はそのアイコンとして機能しています。

美術史的な評価として、ゴッホの自画像シリーズは表現主義絵画への直接的な橋渡しとして高く評価されています。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーらドイツ表現主義の画家たちは、ゴッホの色彩と筆触の感情的表現から強い影響を受けています。また、自画像を精神分析的な文脈で論じる美術史家の研究も多く、心理学・精神医学の観点からも注目されています。

現代においてもゴッホの「自画像」の影響は続いています。1987年のサザビーズオークションでゴッホの「アイリス」が5,390万ドル(当時の記録)で落札されて以来、ゴッホ作品は美術市場のシンボルとなりました。ポップカルチャー、ファッション、デザイン分野でも引用され続けており、オルセー美術館のゴッホ自画像グッズは来館記念品として世界中で最も人気のある美術館グッズのひとつです。

「自画像」を見るには——所蔵美術館とグッズ情報

ゴッホの「自画像」(1889年)はパリのオルセー美術館5階71室〜72室エリアに常設展示されています。同フロアには「アルルの寝室」「昼寝」「オーヴェルの教会」などオルセーが誇るゴッホの主要作品が集中展示されており、作品の変遷を一気に辿ることができます。入館料は€16(2026年現在)。RER C線「ミュゼ・ドルセー」駅から徒歩2分。地下鉄12号線「ソルフェリーノ」駅からも徒歩約5分でアクセス可能です。開館時間は火〜日曜9:30〜18:00(木は21:45まで)。

ゴッホの自画像をほかに見られる主な美術館は次の通りです。最も多くの自画像を所蔵するのはアムステルダムのフィンセント・ファン・ゴッホ美術館(「灰色のフェルト帽の自画像」「画家としての自画像」など)。「耳に包帯をした自画像」(1889年1月)はロンドンのコートールド美術館、「パレットを持つ自画像」(1889年)はワシントンDCの国立美術館(NGA)、「麦わら帽子の自画像」(1887年)はニューヨークのメトロポリタン美術館、「ゴーギャンに捧げる自画像」(1888年)はハーバード美術館で鑑賞できます。

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のゴッホ「自画像」グッズを取り扱っています。50×70cmの大判ポスター、マット付き複製画、ポストカード、150ピースマイクロパズル、スマホグリップ、ピンバッジと幅広いラインナップ。すべてオルセー美術館が承認したミュージアムグッズです。日常使いのグッズに美術館の空気を持ち込みたい方にスマホグリップやピンバッジが特に人気です。

よくある質問

ゴッホ「自画像」(1889年)はどこにある?

パリのオルセー美術館5階71〜72室に常設展示されています。「アルルの寝室」「オーヴェルの教会」など他の主要作品も同じフロアで鑑賞できます。入館料は€16(2026年現在)。

ゴッホは何枚自画像を描いたのか?

油彩だけでも35点を超える自画像を制作しました(フィンセント・ファン・ゴッホ美術館は「35点を下らない」とし、数え方により諸説あります)。その大半は1886〜88年のパリ時代に集中し、最晩年のオーヴェル期(1890年)には1点も描いていません。

ゴッホの最後の自画像はどれ?

渦巻く青緑の背景を持つオルセー美術館の「自画像」(1889年9月、サン=レミで制作しテオに贈ったもの)が最有力候補とされます。ただし1889年9月に母へ贈った「髭のない自画像」を最後とする説もあり、研究者の見解は分かれています。1890年のオーヴェル期に自画像は描かれていません。

ゴッホの自画像はどこで見られる?

最も多く所蔵するのはアムステルダムのフィンセント・ファン・ゴッホ美術館です。ほかにオルセー美術館(パリ)、コートールド美術館(ロンドン・耳に包帯をした自画像)、国立美術館NGA(ワシントンDC)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク・麦わら帽子の自画像)などで鑑賞できます。

なぜゴッホは自画像を多く描いたのか?

モデルを雇う費用がなかったことが最初の理由です。しかし次第に自己探求の手段となり、「100年後の人々に幻影のように見える肖像を描きたい」(妹ウィレミーンへの手紙、1890年)という芸術的目標を持つようになりました。

「自画像」(1889年)の背景が渦巻いているのはなぜか?

感情のエネルギーを筆触で表現するゴッホ独自の技法です。同時期の「星月夜」(1889年6月)にも同様の渦巻き状の背景が見られます。サン=レミ療養所滞在中の精神状態と、日本の浮世絵への関心が融合した表現です。

「自画像」の青緑とオレンジはなぜ対比されているのか?

ゴッホは補色理論を意識的に研究し、色彩の対比効果を活用していました。青緑とオレンジは補色関係にあり、隣接することで互いの彩度が最大限に高まります。シュヴルールやドラクロワの色彩理論からの影響です。

ゴッホ「自画像」のグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のゴッホ「自画像」グッズを販売しています。ポスター(50×70cm)・マット付き複製画・ポストカード・マイクロパズル・スマホグリップ・ピンバッジの6種類を取り扱っています。