ゴヤ「着衣のマハ」とは?「裸のマハ」と対をなす謎の女性と秘密の仕掛け
同じ女性が同じポーズで——衣服をまとったマハの「見つめ返す視線」が問いかけるもの

理性の眠りは怪物を生む
「着衣のマハ」とは
白く輝く薄絹のドレス、黒と金の刺繍が施されたジャコット、そして見る者をまっすぐに見据える黒い瞳——フランシスコ・デ・ゴヤ「着衣のマハ」(1800〜1808年頃)は、「裸のマハ」と対をなす傑作です。同じ女性が、同じソファに、まったく同じポーズで横たわっています。ただ一点だけ異なるのは、彼女が衣服をまとっていること——それだけです。
油彩・カンヴァス、95 × 190センチメートル。制作年は1800年から1808年の間とされており、現在はスペイン・マドリードのプラド美術館36号室に、「裸のマハ」と並んで展示されています。1901年以来、この二枚の絵は常に隣り合わせで公開されており、世界中から訪れる美術愛好家の前でゴヤの問いかけを発し続けています。
「着衣のマハ」という作品の奇妙な魅力は、「服を着ている」という事実にこそあります。美術史上、衣服をまとった女性が横たわる構図はさほど珍しくありません。しかしゴヤはその同じ女性を、まず裸体で描き、次に衣装をまとわせて描くという前代未聞の試みを行いました。美術史家の多数説では、「裸のマハ」が先に描かれ、「着衣のマハ」はその対として後から制作されたと考えられています。
ゴヤ(1746〜1828年)は、スペイン国王カルロス4世の宮廷画家として最高の栄誉を享受しながら、その晩年は「黒い絵」と呼ばれる暗黒の世界へと踏み込んでいきます。この二枚のマハは、その転換点に位置する静謐な傑作です。

制作の背景——ゴドイの秘密のコレクション
「着衣のマハ」が公式文書に初めて登場するのは1808年のことです。スペイン王フェルナンド7世がマヌエル・ゴドイの資産を没収した際の目録に、「衣服を着た女性、別名ヴィーナス(Gitana vestida, llaman Venus)」として記録されました。ゴドイはカルロス4世の宰相にして王妃マリア・ルイサの寵臣であり、スペイン宮廷で絶大な権力を持つ人物でした。
二枚のマハはゴドイの邸宅「ゴドイ宮殿」に収蔵されており、仕掛けの施されたフレームの中に保管されていたとされています。外から見えるのは「着衣のマハ」のみ——しかしフレームの仕掛けを操作すると、奥に隠された「裸のマハ」が現れる、という秘密の仕組みです。親しい客人だけに「裸のマハ」を見せ、それ以外には「着衣のマハ」しか見せないという、ゴドイならではの趣向でした。
「着衣のマハ」のための衣装はスペインの民俗衣装「マハ(maja)」のスタイルを忠実に再現しています。白い薄絹のドレスの上に黒と金の刺繍が施されたボレロ(短いジャコット)を羽織り、頭には黒い髪飾りをつけた姿は、当時のマドリードの下町で流行した装いでした。貴族階級がフランス流の服装を採用する中、「マハ」スタイルはスペインのナショナリズムを体現する庶民文化として、逆説的に上流階級にも愛されていました。
この自画像は、ゴヤが「着衣のマハ」を制作した1800年頃に描いたものとされており、フランス南部カストルのゴヤ美術館に所蔵されています。丸眼鏡をかけた鋭い眼差しと、薄暗い背景の中に浮かぶ宮廷服——「着衣のマハ」が生まれた時代のゴヤを知る貴重な自像です。

技法と色彩——白い薄絹に宿る官能
「着衣のマハ」の技法を解説する上で欠かせないのは、「白」の表現です。ゴヤが女性の衣装に用いた白は単なる白ではありません。薄絹(ムスリン)特有の透け感——下に着たピンクの肌着の色が透けて見えるようなニュアンス——を、ブルーグレーの陰影と白のハイライトを重ねることで表現しています。19世紀初頭のヨーロッパでは薄絹のドレスが大流行しており、ゴヤはその素材感を見事に絵具で再現しました。
女性の頭部から連なる黒と金の刺繍が施されたジャコット(短い上着)は、「着衣のマハ」を「裸のマハ」と最も視覚的に区別する要素です。黄土色と黒の組み合わせ、そして鳥の羽根を模した装飾は、スペイン民俗衣装「ボレロ」の伝統的なスタイルです。ゴヤは衣装の素材感と質感を驚くほど正確に描写しており、絹の光沢と刺繍の立体感がはっきりと伝わってきます。
腰に巻かれた深紅のサッシュ(帯)は、白いドレスの中に目を引くアクセントとなっています。このサッシュの色は「裸のマハ」で女性が横たわるクッションの色と呼応しており、二枚の絵を並べたときの視覚的なつながりを形成しています。ゴヤは色彩を通じて、二枚の絵がひとつのペア作品であることをさりげなく主張しているのです。
白いドレスの裾からわずかに覗く黒と金の小さな靴は、ゴヤの技巧を示す繊細なディテールです。当時のスペイン女性の足元の流行を正確に捉えると同時に、女性の体のプロポーションを整えるアンカーとして機能しています。




異端審問所に没収された「不道徳な二枚組」
1808年、ナポレオンのスペイン侵攻によってゴドイは権力を失い、二枚のマハはフェルナンド7世のもとに没収されました。王は「不道徳な絵画(pinturas obscenas)」と判断し、宮廷の倉庫に仕舞い込みます。しかし話はそこで終わりませんでした。
1815年、スペイン異端審問所はゴヤを召喚しました。この絵画の制作者として、「不敬で淫らな芸術」を作ったという嫌疑で調査が始まったのです。当時68歳になっていたゴヤは全聾の状態でありながら出廷し、「誰の依頼で、何の目的で、この絵を描いたか」を問いただされました。ゴヤの回答がどのようなものだったかは記録に残っていません。
審問の結果、ゴヤは起訴されることなく解放されています。しかし異端審問所は二枚のマハを「不道徳な物品(efectos de ilícito comercio)」として没収し、スペイン王立美術アカデミーに保管を命じました。そのアカデミーは後に、この没収品をプラド美術館へと引き渡します。現在プラド美術館36号室に展示されている二枚のマハは、この異端審問による没収を経て国有財産となった作品です。
皮肉なことに、異端審問所の「没収」こそが二枚の絵を公共の財産として保存することにつながりました。スペインの2000ペセタ紙幣(1980年代)には「裸のマハ」が印刷されており、かつて「不道徳」とされた絵が国民的シンボルへと昇華した転変の歴史は、美術と道徳の関係を考える上で今なお重要な事例とされています。
「マハ」は誰?250年続く謎のモデル問題
「マハのモデルは誰か」——この問いは1800年代から繰り返されてきましたが、現在も確定的な答えはありません。最も有名な説は「アルバ公爵夫人説」です。カジェターナ・デ・シルバ(1762〜1802年)はスペインで最も裕福かつ最も美しいとされた貴族女性で、ゴヤとの親密な関係は当時からスキャンダルのように語られていました。ゴヤが描いた「アルバ公爵夫人」(1797年)の指には「ALBA」「GOYA」と記された二つの指輪が描かれており、二人の関係の深さを示唆しています。
しかし、この説には明確な根拠がありません。「裸のマハ」と「アルバ公爵夫人の肖像」を比較すると、体型・プロポーションが一致しないとも指摘されています。現代の美術史家の多数は「アルバ公爵夫人説」を否定し、二番目に有力な「ペピータ・トゥドー説」——ゴドイの愛人——を支持する傾向にあります。ゴドイが二枚を所蔵していた事実と、ペピータ・トゥドーがゴドイの邸宅で生活していた事実はよく符合しています。
三番目の説は「架空の人物説」——ゴヤが特定のモデルを使わず、理想的な女性像を自らの想像で作り上げたというものです。「マハ(maja)」とはもともと「マドリードの下町美人」を指す一般名詞であり、特定の人物を描いたのではなく「マハという文化の象徴」を描いたという解釈です。この説を支持する論者は、二枚の絵に一致する「実在の人物」が見当たらない点を根拠とします。250年が経った今も、「着衣のマハ」は誰であるか、確かなことはわかっていません。
「裸のマハ」との対——衣服がもたらす意味の転換
「着衣のマハ」を理解するためには、「裸のマハ」との比較が不可欠です。二枚の絵は同じ女性が同じソファに、まったく同じポーズで横たわっています。美術史家たちは長らく「どちらが先に描かれたか」を議論してきました。現在では「裸のマハ」が先に描かれ、「着衣のマハ」は後から対として制作されたという説が多数を占めています。
この制作順序の解釈は、作品の「意味」を大きく変えます。もし「着衣のマハ」が先に描かれたとするなら、ゴヤは「衣服を脱がせた」ことになります。しかし「裸のマハ」が先に描かれたとするなら、ゴヤは「衣服をまとわせた」——官能的な裸体画をわずかに無害化するために衣装を与えた——という読みになります。服を着せることで生まれる謎、見えないことで高まる想像力——「着衣のマハ」の魅力はその曖昧さの中にあります。
ゴヤのこの二枚組は西洋美術史に大きな足跡を残しました。「1808年5月3日」や「我が子を食らうサトゥルヌス」へと向かうゴヤの晩年の表現主義的変容は、この「マハ」二枚組における心理的実験の延長線上にあります。また、エドゥアール・マネが「オランピア」(1863年)でソファに横たわる女性を描いたとき、美術史家たちは即座にマハとの関連を指摘しました。「見つめ返す女性」という革命的な構図の系譜は、ゴヤのマハから始まっています。
なぜ「着衣のマハ」は今も語り継がれるのか
「着衣のマハ」が美術史において特別な地位を占めるのは、「裸のマハ」とのペアとして機能するからだけではありません。西洋美術史上、女性の裸体画は長い歴史を持っていますが、「裸のマハ」はその中でも「女性が見る者を正面から見返す」という革命的な要素を持つ最初の作品のひとつです。「着衣のマハ」は、その「見返す視線」を——衣服という保護を与えながら——さらに日常的な文脈で実現した対の作品です。
1901年以来プラド美術館で並んで展示されてきた二枚の絵は、年間300万人以上の来館者を引き寄せる国宝的存在となっています。スペインの旧2000ペセタ紙幣には「裸のマハ」が、旧100ペセタ硬貨にはゴヤの自画像が印刷されるほど、この二枚はスペイン文化のアイコンとなっています。
現代においても「着衣のマハ」の影響は広く及んでいます。ファッション、映画、漫画に至るまで「ソファに横たわり視線を向ける女性」という構図はゴヤのマハの記憶を呼び起こします。衣服があっても、なくても——ゴヤの「見つめ返す女性」は、西洋美術の定番図像を根底から変えた存在です。
「着衣のマハ」を見るには——プラド美術館とグッズ情報
プラド美術館36号室——「着衣のマハ」と「裸のマハ」の展示室は、館内でも特に人気の高い場所のひとつです。二枚は同じ部屋に並んで展示されており、どちらが先に描かれたかを議論しながら鑑賞するのが美術通の楽しみとされています。マドリードを訪れる際はぜひ立ち寄ってください。
プラド美術館(Museo Nacional del Prado)はマドリード市内のパセオ・デル・プラドに面した国立美術館で、1819年の開館以来、ゴヤ・ベラスケス・エル・グレコなどスペイン絵画の至宝を収蔵しています。開館時間は月〜土曜10:00〜20:00、日曜・祝日は10:00〜19:00。一般入館料は€15です。
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のゴヤと同時代の名画グッズをお取り扱いしています。ゴヤに影響を受けたフランス・ロマン主義の旗手ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」をモチーフにしたスウェットシャツ・ノートなど、ヨーロッパ名画のミュージアムグッズをぜひご覧ください。
よくある質問
「着衣のマハ」はどこにある?
スペイン・マドリードのプラド美術館36号室に所蔵・展示されています。同室には「裸のマハ」も並んで展示されており、二枚を比較して鑑賞できます。
「着衣のマハ」はいつ描かれた?
1800年から1808年の間に制作されたとされています。同じ構図の「裸のマハ」(1795〜1800年頃)の後に対として描かれたという説が現在の多数説です。
「着衣のマハ」のサイズは?
95 × 190センチメートルの油彩画です。「裸のマハ」(97 × 190センチメートル)とほぼ同サイズで、並べて展示するために意図的に合わせられたと考えられています。
「着衣のマハ」のモデルは誰?
250年以上経った今も正式には不明です。アルバ公爵夫人説・宰相ゴドイの愛人ペピータ・トゥドー説・架空の人物説などが提唱されていますが、決定的な証拠はなく議論が続いています。
「裸のマハ」と「着衣のマハ」はどちらが先に描かれた?
現在の多数説では「裸のマハ」(1795〜1800年頃)が先に描かれ、「着衣のマハ」(1800〜1808年頃)が後から対として制作されたとされています。ただし確定的な証拠はなく、逆の順序を主張する研究者もいます。
「着衣のマハ」のグッズはどこで買える?
Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のゴヤと同時代の名画グッズをお取り扱いしています。ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」などをモチーフにしたミュージアムグッズをぜひご覧ください。