ジョット「キリストの哀悼」とは?——スクロヴェーニ礼拝堂に刻まれた「人間の涙」と西洋絵画の夜明け

石の壁に人間の悲しみを刻んだ——西洋絵画史上最初の「本物の涙」

ジョット・ディ・ボンドーネ「キリストの哀悼」(1304〜06年頃)パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂所蔵
チマブーエは絵画の分野を制していると信じていた。今やジョットがその名声を持ち、前者の名声はすっかり影に沈んでいる。

「キリストの哀悼」とは

北イタリアの古都パドヴァ。スクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)と呼ばれる小さな礼拝堂の内壁を埋め尽くすフレスコ画群の中に、西洋美術史上もっとも重要な作品のひとつが存在します。ジョット・ディ・ボンドーネ(c.1267〜1337年)が1304〜06年頃に制作した「キリストの哀悼」(Compianto sul Cristo morto)——縦約200センチメートル、横約185センチメートルのこのフレスコ画は、十字架から降ろされたキリストの亡骸を前に嘆き悲しむ聖母マリアや弟子たちを描いた場面です。

この作品が美術史において特別な位置を占める理由は、描かれた人物たちが本当に悲しんでいるように見えることにあります。それ以前のビザンティン芸術における宗教画では、聖人や使徒たちは厳粛で固定化された表情を保っていました。ジョットはここで初めて、人物ひとりひとりに個別の感情——嘆き、絶望、怒り、呆然——を与えました。700年以上を経た今日も、この場面を前にした鑑賞者が思わず息をのむのは、その人間的な悲しみが時代を超えて伝わってくるからです。

「キリストの哀悼」はスクロヴェーニ礼拝堂の内壁を飾る全37場面のフレスコ連作のうち第36場面にあたり、キリストの磔刑から復活へと向かうクライマックス直前の場面です。フレスコ(al fresco)技法——湿った石灰漆喰に鉱物顔料で描く技法——で制作されたこの作品は、720年以上が経過した現在も、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂でその姿を保っています。

ジョット・ディ・ボンドーネはフィレンツェ近郊に生まれ、チマブーエの弟子として修業を積んだとされています。後にミケランジェロ「アダムの創造」やラファエロ「アテネの学堂」に結実するルネサンス絵画の感情表現と空間把握は、まさにジョットがこのスクロヴェーニ礼拝堂において初めて開拓したものです。美術史家はジョットを「ルネサンスの父」と呼び、西洋絵画の新しい時代をここから数えます。

ジョット「キリストの哀悼」(1304〜06年頃)——聖母マリアとキリストの頭部。スクロヴェーニ礼拝堂所蔵

制作の背景——スクロヴェーニの贖罪と「地獄に落とされた父の息子」の礼拝堂

「キリストの哀悼」が描かれたスクロヴェーニ礼拝堂には、ひとつの特別な背景があります。礼拝堂を建てたエンリコ・スクロヴェーニ(c.1272〜1336年)の父、レジナルド・スクロヴェーニは、パドヴァで最も富裕な高利貸しのひとりでした。そしてジョットの同時代人であるダンテ・アリギエーリ(1265〜1321年)は「神曲」地獄篇第17歌において、その悪名高い高利貸しとして具体名で地獄に落としました。

父がダンテの筆によって地獄に沈められたエンリコは、1300年頃に古いローマ円形劇場の跡地(アレーナ)にこの礼拝堂を建設します。家族の贖罪と自らの敬虔さを示すため——これが礼拝堂建設の動機とされています。礼拝堂の西壁に描かれた「最後の審判」では、エンリコ自身が礼拝堂の模型を聖母マリアに捧げる姿で描かれており、天国への入場を望む男の肖像として画面に刻まれています。

ジョットが礼拝堂のフレスコ制作を依頼されたのは1303〜04年頃のことです。当時ジョットは30代後半で、すでにローマやアッシジのフレスコ制作で名声を確立していました。ローマ教皇ボニファティウス8世から1300年の聖年(ジュビレー)のための制作を依頼された実績を持つジョットは、当時のイタリアで最も評価された画家でした。礼拝堂の内壁全体(縦壁3段×37場面+天井の星空など)を完成させるまでに、ほぼ2年の歳月を要したとされています。

礼拝堂の建設とフレスコ制作を目撃したダンテは、1307〜08年頃に書き始めた「神曲」煉獄篇第11歌で、次のような詩句を残しました——「チマブーエは絵画の分野を制していると信じていた。今やジョットがその名声を持ち、前者の名声はすっかり影に沈んでいる。」。存命中の画家をこれほど高く評価した言葉は、中世文学に前例のないものでした。

ジョット・ディ・ボンドーネの肖像(16世紀フィレンツェ派)——「五人の師匠」より

技法と革新——「斜めの丘」が生み出す感情の渦

「キリストの哀悼」の構図を見て最初に気づくのは、画面を左上から右下へと走る岩山の急な斜線です。この対角線は観る者の視線をすべて画面下部の水平な構図——キリストの亡骸を囲む人々のかたまり——へと誘導します。ジョットはこの斜めの丘を意図的に設計し、上方向の悲嘆(天使たち)と地上の悲嘆(人々)を統一する感情の流れを作り出しました。

キリストを両腕で支えながらその顔に額を寄せる聖母マリアの姿は、人類の歴史上もっとも感情的に強く描かれた母子像のひとつです。聖母は悲しみを耐えるのではなく、子どもを失った母親として感情が体全体から溢れ出しています。悲しみを表情だけで表現するのではなく全身で悲しみを体現する——この表現はジョット以前の絵画には存在しませんでした。

フレスコ画の上部には、天使たちが空中で嘆き悲しむ姿が描かれています。人間と天使が同じ感情を共有するこの構図は、天上の出来事と人間の世界を分断してきたビザンティン芸術との決定的な断絶を示しています。天使たちのポーズはそれぞれ異なり、両手で顔を覆う者、空に向かって腕を伸ばす者、身をよじって嘆く者——ひとりひとりに個別の悲しみの様式があります。

キリストの手元に寄り添っているのはマグダラのマリア(長い髪の女性)です。泣きながらキリストの手を支えるその姿は、隣に座る別の女性とともに、悲しみの中でも「手離したくない」という人間的な感情を体現しています。ジョットはここでも一枚の絵の中にいくつもの感情の中心を置くという革新的な構図を採用しており、どの箇所を見ても独立した物語が読み取れます。

ジョット「キリストの哀悼」——聖母マリア(青衣)がキリストの顔に頬を寄せる中央場面のディテールジョット「キリストの哀悼」——空中で嘆き悲しむ天使たちのディテールジョット「キリストの哀悼」——キリストの手元に寄り添う二人の女性のディテールジョット「キリストの哀悼」——右側の立つ人物群と跪く女性たちのディテール

ダンテの詩に刻まれた名——「父が地獄に落とされた息子の礼拝堂」という皮肉

中世文学の最高傑作「神曲」(1307〜21年)において、ダンテ・アリギエーリは地獄の第7圏第3廓(高利貸しの責め場)に「スクロヴェーニ家の袋」を描きました——それはレジナルド・スクロヴェーニが、地獄の地面に座りながら首にかけた家紋入りの金袋を眺め続けるという永遠の責め苦です。地獄篇第17歌を書いたとき、ダンテの念頭にあったのは当代最悪の高利貸しのひとりとして知られたレジナルドでした。

ところがその同じレジナルドの息子エンリコが発注したスクロヴェーニ礼拝堂を、ダンテが最も高く評価した画家ジョットが描いた——この歴史的皮肉は、中世末期のパドヴァにおける芸術と宗教の複雑な交差を示しています。父の罪を贖うための息子の礼拝堂に、詩人が最も賞賛した画家が傑作を残した——この事実は、礼拝堂の意味と価値をより深くしています。

ダンテが煉獄篇第11歌に残した「チマブーエは絵画の分野を制していると信じていた。今やジョットがその名声を持ち、前者の名声はすっかり影に沈んでいる。」という詩句は、存命中の芸術家に対する当時としては例外的な高い評価です。ダンテ自身がジョットの礼拝堂フレスコを直接見た可能性は十分にあり、スクロヴェーニ礼拝堂の完成(1305年頃)と煉獄篇の執筆開始(1307〜08年頃)の時系列はその可能性を支持しています。

ジョットはその後もフィレンツェのサンタ・クローチェ教会(バルディ礼拝堂・ペルッツィ礼拝堂、1320年代)にフレスコを残し、ナポリ王の宮廷画家として活動するなど、生涯を通じて最高位の後援者から依頼を受け続けました。1334年にはフィレンツェ大聖堂の建設監督官(カポマエストロ)に任命されますが、1337年に完成を見ることなく世を去りました。

「本物の悲しみ」を初めて描いた男——ビザンティンとの決定的断絶

ジョット以前の中世ヨーロッパの宗教画は、ビザンティン芸術の伝統を引いていました。その特徴は厳粛で金色に輝く平面的な表現です——聖人たちの顔は感情を示さず、人物は空間の中に立体的に存在するのではなく、金色の背景の前に貼り付けられたように描かれていました。

ジョットが「キリストの哀悼」で行ったことは、この伝統との根本的な断絶です。聖母マリアは聖なる存在としての距離感を保っていません——我が子を失った母親として、全身で泣いています。聖ヨハネは両腕を後ろに投げ出し、身体ごと絶望を表現しています。後ろ向きに坐る弟子たちの重い背中からは、言葉のない悲しみが伝わってきます。

美術史家が「キリストの哀悼」を「西洋絵画における感情表現の発見」と評するのは、それ以前の絵画が「何が起きているかを伝える」ことを目的としていたのに対し、ジョットが初めて「それを見ている人がどう感じるか」を目的とした絵画を生み出したからです。

「キリストの哀悼」を直接目の前にして涙を流す鑑賞者が後を絶たないのは、700年以上前にジョットが成し遂げたこの感情の革命が、今日でも機能しているからです。スクロヴェーニ礼拝堂では1回25名・15〜20分という制限付きの見学が行われており、その時間の中で多くの鑑賞者が言葉を失う体験をすると言われています。

スクロヴェーニ礼拝堂の37場面——「絵画の聖典」の全体像

スクロヴェーニ礼拝堂の内壁全体を埋める37場面のフレスコは、上段に聖母マリアの生涯(ヨアキムとアンナの物語からマリアの神殿奉献、受胎告知まで)、中段にキリストの生涯(降誕から復活まで)、下段に美徳と悪徳の擬人像が並んでいます。

「キリストの哀悼」の数場面前には、ジョットのもうひとつの傑作「ユダの接吻」(第31場面、中段)があります。ゲッセマネの園でユダがキリストに接吻する「裏切りの瞬間」を描いたこの作品も、近年の人気投票で「最も重要な場面」のひとつに挙げられます。ユダとキリストの鼻先が触れ合うほど近い距離で正面から向き合うふたりの顔——その緊張感と心理的対峙は「キリストの哀悼」と並ぶジョットの傑作として美術史に記録されています。

礼拝堂西壁には「最後の審判」が描かれており、天国・煉獄・地獄の全体像が展開しています。この画面の左隅では、礼拝堂の建設者エンリコ・スクロヴェーニが礼拝堂の模型を聖母マリアに捧げる姿で描かれており、贖罪の意図が視覚化されています。ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」に代表されるルネサンス絵画の感情表現、そしてルネサンス以降のヨーロッパ絵画全体に流れる人間の感情を描く絵画の源流は、このスクロヴェーニ礼拝堂にあります。スクロヴェーニ礼拝堂は2021年にユネスコ世界遺産「パドヴァのフレスコ画群(14世紀)」の一部として登録されています。

なぜ「キリストの哀悼」は今も語り継がれるのか

「キリストの哀悼」が美術史に与えた影響は計り知れません。ジョットの「人間の感情を絵画に」という革新は、その後100年のうちにトスカーナ絵画全体に広がり、マサッチョ(1401〜28年)のブランカッチ礼拝堂フレスコ、フラ・アンジェリコ(c.1395〜1455年)の宗教画を経て、最終的にルネサンス最高傑作群——ラファエロ「アテネの学堂」、ミケランジェロ「アダムの創造」——の人物表現へと結実しました。

スクロヴェーニ礼拝堂は長い年月の中で幾度も修復を受けてきました。1990年代に礼拝堂の隣に建設された市立博物館建設工事中、地盤への影響からフレスコの保全状態が悪化し、大規模な保存修復プロジェクト(2001〜2002年)が実施されました。2021年、礼拝堂はユネスコ世界遺産「パドヴァのフレスコ画群(14世紀)」の一部として正式登録されており、イタリアを代表する文化遺産として世界的に保護されています。

現在のスクロヴェーニ礼拝堂は、温度・湿度・二酸化炭素濃度を厳密に管理した環境下で公開されています。入場は1回につき最大25名、15〜20分間という制限が設けられており、入場前に隣接するガラス室で15分間の環境調整を経てから礼拝堂へ入る仕組みになっています。この厳しい管理体制が、720年以上を経た今日でもジョットのフレスコを鮮やかに保つ理由のひとつです。

「キリストの哀悼」を見るには——スクロヴェーニ礼拝堂とグッズ情報

「キリストの哀悼」を鑑賞するには、イタリア・ヴェネト州パドヴァ(Padova)にあるスクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)を訪れるほかありません。パドヴァへはヴェネツィアから電車で約30分(リージョナル)、ミラノからは約2時間15分でアクセスできます。礼拝堂はパドヴァ市立博物館(Musei Civici agli Eremitani)の隣接施設で、入場は完全事前予約制です。

予約は公式サイト(cappelladegliscrovegni.it)から行い、入場料は成人約15ユーロです。1回の見学は最大25名で、礼拝堂入場前に温湿度調整室での15分間の待機が必要です。礼拝堂内では15〜20分間の鑑賞が可能で、ガイド付きの解説もあります。シーズンによって予約が数週間先まで埋まることがあるため、旅行の計画段階での予約を強く推奨します。

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のルネサンス・イタリア芸術関連グッズをご用意しています。「キリストの哀悼」のグッズは現時点では取り扱いがありませんが、同時代のルネサンスを代表する書籍やルーヴル美術館関連グッズ(バッグ・ポーチ・ステーショナリーなど)を多数取り揃えています。ルネサンス芸術の名品を日常に取り入れたい方は、ぜひMuseum Boxをご覧ください。

よくある質問

ジョット「キリストの哀悼」はどこにありますか?

イタリア・パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)に所蔵されています。ヴェネツィアから電車で約30分でアクセス可能です。入場は完全事前予約制(公式サイト cappelladegliscrovegni.it、成人約15ユーロ)で、1回の見学は最大25名・15〜20分間です。

「キリストの哀悼」はいつ制作されましたか?

1304〜06年頃に制作されたフレスコ画です。ジョットが依頼主エンリコ・スクロヴェーニのためにスクロヴェーニ礼拝堂内壁全体(全37場面)を描いた連作の一部で、礼拝堂は1305年頃に奉献されました。

「キリストの哀悼」のサイズは?

縦約200センチメートル×横約185センチメートルのフレスコ画です。スクロヴェーニ礼拝堂南壁中段に描かれており、礼拝堂全体の37場面のうち第36場面にあたります。

ジョットはどんな画家ですか?

ジョット・ディ・ボンドーネ(c.1267〜1337年)はフィレンツェ近郊出身のイタリア人画家で、「ルネサンス絵画の父」と呼ばれています。ビザンティン芸術の形式主義から脱却し、人間の感情を写実的に描く新しい絵画様式を確立しました。同時代のダンテが「神曲」で最高の賛辞を贈った唯一の存命画家でもあります。

「キリストの哀悼」が重要な理由は何ですか?

西洋絵画史上初めて「人間の本物の悲しみ」を絵画で表現した作品として重要です。それ以前のビザンティン芸術では聖人たちは固定した表情でしたが、ジョットは聖母マリア、マグダラのマリア、天使たちにそれぞれ個別の感情を与えました。この革新がルネサンス絵画の感情表現への道を開きました。

ジョット関連のミュージアムグッズはどこで買えますか?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のルネサンス名画グッズをご用意しています。ルーヴル美術館のバッグ・ポーチ・ボールペンや、ルネサンス芸術の傑作を収録した書籍など、美術館のミュージアムグッズをぜひご覧ください。