ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」とは?切断された未完成作が語る解剖学の天才

二つに切り裂かれてローマの古物商をさまよった——ダ・ヴィンチ最高の解剖学的傑作の数奇な運命

レオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)ヴァティカン美術館所蔵
よき画家は二つのことを描かなければならない——人間と、その魂の動き

「荒野の聖ヒエロニムス」とは

荒涼とした岩山の前で、老いた男が膝をつき、右手に握った石で自らの胸を打ちながら神へと祈りを捧げています。衣をまとわず骨と皮だけになった肉体に、鋭い光が当たっています。その足元には一頭のライオンが静かに伏せています——これが、レオナルド・ダ・ヴィンチが1480年頃に描き始め、未完成のまま残した「荒野の聖ヒエロニムス(San Girolamo penitente)」です。

現在はヴァティカン市国のピナコテカ・ヴァティカーナ(ヴァティカン絵画館)第9室に所蔵されています。縦103センチメートル・横75センチメートルのクルミ材のパネルに油彩とテンペラで描かれており、仕上がった箇所と下地が透けて見える未完成の部分が混在しています。

聖ヒエロニムス(英語名:セント・ジェローム)は4世紀の神学者・聖書学者で、ラテン語訳聖書「ヴルガータ」の翻訳者として知られます。砂漠で苦行を行いながら胸を石で打つ姿は、キリスト教美術の伝統的テーマですが、ダ・ヴィンチの解釈は他の画家と一線を画します。衰えた老人の肉体——特に首から胸にかけての筋肉と骨格——が、まるで解剖図のような精確さで描かれているのです。

この絵が特別なのは、解剖学的精密さだけではありません。未完成であることによって、ダ・ヴィンチがどの部分を最初に仕上げ、どこで筆を止めたかが透けて見えます。一枚の絵がそのまま「創造の過程」を見せてくれる——そんな稀有な体験ができる作品です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)聖人の顔と首のディテール——ヴァティカン美術館所蔵

制作の背景——フィレンツェ最後の日々と解剖学への情熱

1480年頃、レオナルド・ダ・ヴィンチは28歳でした。師アンドレア・デル・ヴェロッキオのもとで修業を終えてから数年が経過していましたが、独立した大規模な委嘱作品はほとんど完成していない状況でした。「荒野の聖ヒエロニムス」も、正確な依頼主や目的は不明のままです。

この時期のレオナルドは人体解剖に情熱を注いでいました。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院をはじめとする施設で遺体を解剖し、筋肉・骨格・神経の走行を細密にスケッチブックへ記録していたのです。「荒野の聖ヒエロニムス」のヒエロニムスの肉体は、その解剖学的探求が絵画として初めて本格的に結実した例のひとつと考えられています。

ちょうど同じ頃、「マギの礼拝」(1481〜82年頃)の制作も始まっていました。しかし1482年、レオナルドはミラノのルドヴィーコ・スフォルツァ公の宮廷への招待を受けてフィレンツェを後にします。「荒野の聖ヒエロニムス」も「マギの礼拝」も、未完成のままフィレンツェに残されることになりました。「よき画家は二つのことを描かなければならない——人間と、その魂の動き」というダ・ヴィンチ自身の言葉が、この作品の本質を言い当てています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「自画像」(1510〜15年頃)トリノ王立図書館所蔵

技法と解剖学——老聖人の肉体に宿る科学と芸術

ヒエロニムスの顔は、この未完成作品の中で最も仕上げられた部分です。老いた皮膚の皺、奥まった眼の中の苦悩、禁欲的な意志——これほど人物の内面が伝わる表情は、15世紀の宗教画においても稀な表現です。ダ・ヴィンチが顔を制作の核心と捉え、最初に仕上げていたことがよくわかります。

首から胸にかけての筋肉描写は、この絵の解剖学的精度の本領が発揮された部分です。胸鎖乳突筋の走行、鎖骨の突出、肩甲骨の動き——これほど正確に老いた人体を描いた絵画は、15世紀の西洋絵画にほとんど存在しませんでした。ダ・ヴィンチが実際の遺体解剖で得た知識が、そのまま絵筆へと昇華されています。

右下に伏せるライオンは、聖ヒエロニムスの伝統的な象徴です。砂漠で傷ついたライオンの足から棘を抜いてやったヒエロニムスを、そのライオンが従ったというエピソードに由来します。フィレンツェのメディチ家がライオンを飼育しており、ダ・ヴィンチがそれを実地で観察・スケッチしていたと考えられています。

背景の岩場と右奥に見える小さな礼拝堂の輪郭は、下地の緑土(ヴェルダッチョ)が剥き出しになったままです。岩場の荒涼とした質感は未完成ながらも十分に伝わり、ダ・ヴィンチが顔と筋肉の表現を先に確立し、背景を後回しにした制作順序が一目でわかります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)老聖人の顔と苦悩の表情のディテールレオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)首と胸の筋肉・骨格の解剖学的ディテールレオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)足元に伏せるライオンのディテールレオナルド・ダ・ヴィンチ「荒野の聖ヒエロニムス」(1480年頃)背景の岩場と礼拝堂のディテール

二つに切断された傑作——靴屋の踏み台から復元された奇跡

「荒野の聖ヒエロニムス」には、数百年にわたる劇的な流転の歴史があります。ダ・ヴィンチの死後(1519年)、この絵画はある時点で上下二枚のパネルに切断され、それぞれが別の場所へと散逸してしまいました。

19世紀初頭、ナポレオン1世の叔父であるジョゼフ・フェシュ枢機卿がローマのアンティーク店を訪れた際、奇妙な木製パネルを見つけます。それは小物入れの蓋として使われており、絵の描かれた面が下に向けられていました——それがヒエロニムスの胴体部分だったのです。絵具の質の高さに気づいたフェシュ枢機卿は、そのパネルを購入します。

その後、別の古物商でフェシュ枢機卿はもう一枚の板を発見します。靴職人の作業台の仕切り板として使われていたとも伝わるその板には、老聖人の頭部が描かれていました。二枚を合わせると一枚の完全な絵が現れる——その事実に気づいたフェシュ枢機卿は両方を購入し、接合させました。この接合跡は現在もパネル上に残っており、X線写真でその継ぎ目が確認されています。フェシュ枢機卿のコレクションから1856年にローマ教皇ピウス9世が取得し、ピナコテカ・ヴァティカーナの収蔵となりました。

未完成が語る真実——下絵が見せるダ・ヴィンチの思考

世界中の美術館に所蔵される傑作のほとんどは、完成した姿だけを見せてくれます。しかし「荒野の聖ヒエロニムス」は違います。絵具が塗られていない部分から、ダ・ヴィンチがどの順序で考え、どの瞬間に筆を止めたかが直接伝わってくるのです。

特に注目されるのは、ヒエロニムスの顔だけが丁寧に仕上げられている点です。人物の感情を最も雄弁に語る「顔」から描き始めるというダ・ヴィンチの制作習慣が、この作品にも現れています。顔の表情さえ確定すれば残りは後から仕上げられる——そんな彼の制作哲学が見てとれます。

赤外線分析では、現在の構図の下に別の下絵が存在することも明らかになっています。ヒエロニムスの頭部の角度が当初は異なっていたこと、ライオンの位置も微調整されていたことがわかっています。ダ・ヴィンチにとって絵画とは「完成」させるものではなく、「追求し続けるもの」だったのかもしれません。フランスのアンボワーズで1519年に息を引き取るまで、彼が「完成」と自ら認めた作品はごくわずかでした。

「マギの礼拝」との比較——同じ魂が生んだ二つの未完成作

「荒野の聖ヒエロニムス」と同じくフィレンツェ時代に描き始め、未完成のまま残された作品が「マギの礼拝」(1481〜82年頃、ウフィツィ美術館所蔵)です。両作品はほぼ同時期に着手され、ダ・ヴィンチのミラノ行きとともに放棄されるという同じ運命をたどっています。

マギの礼拝」が60人を超す群像の渦の中で「感情の多様性」を探求した作品であるのに対し、「荒野の聖ヒエロニムス」は孤独な一人の人物の肉体と魂に焦点を絞った作品です。どちらも未完成であるがゆえに、ダ・ヴィンチが何を達成しようとしていたかが直接伝わってくるという特徴を共有しています。

最後の晩餐」(1495〜98年、ミラノ・サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院所蔵)と比較すると、「荒野の聖ヒエロニムス」で試みられた筋肉描写が後の作品にどのように発展したかがよくわかります。「最後の晩餐」の使徒たちの劇的なジェスチャーと感情表現の根底には、この時期の解剖学的研究が確実に流れています。

なぜ「荒野の聖ヒエロニムス」は今も語り継がれるのか

「荒野の聖ヒエロニムス」が美術史に刻んだ最大の功績は、「人体を科学的に把握して初めて人の魂を描ける」というルネサンスの理念を絵画として実現した点にあります。ミケランジェロを始めとする後世の芸術家たちは、この作品が示した解剖学と芸術の融合から大きな影響を受けています。

医学史・解剖学史の観点からも、この絵は特別な価値を持ちます。15世紀後半に画家が解剖学的正確さを芸術表現に組み込んだ最初期の例として、科学史家たちに継続的に研究されています。完成していたなら絵具層に隠れていた解剖学的描写が、未完成ゆえに直接観察できる——これは他にほとんど例のない状況です。

フェシュ枢機卿のコレクションから1856年にローマ教皇ピウス9世が取得し、以来ピナコテカ・ヴァティカーナの至宝として保存されています。ダ・ヴィンチの全作品の中でも「最後の晩餐」「モナ・リザ」と並んで別格の評価を受けており、現代においても科学者・美術史家・修復技術者たちの研究対象であり続けています。人体の秘密を解剖によって追い求め、その知識を絵筆へと変換した28歳の天才の渾身の一作——「荒野の聖ヒエロニムス」は、芸術と科学が分かれる以前の時代に、その両者を最も高い次元で結びつけた証として今も人々を引き寄せ続けています。

「荒野の聖ヒエロニムス」を見るには——ヴァティカン美術館と鑑賞情報

「荒野の聖ヒエロニムス」はヴァティカン市国のピナコテカ・ヴァティカーナ第9室に展示されています。ヴァティカン美術館の構内に位置し、ラファエロの間やシスティーナ礼拝堂と同じ施設内で観覧できます。入館料は17ユーロ(2024年現在)で、事前予約が推奨されています。繁忙期(春・夏)は数日前からの予約が必須です。

日本でレオナルド・ダ・ヴィンチのミュージアムグッズをお探しなら、Museum Boxをご利用ください。フランス国立美術館連合(RMN-GP)を取得したダ・ヴィンチグッズ——モナ・リザをモチーフにしたポーチ・バッグ・ノートなど——を取り扱っています。

よくある質問

「荒野の聖ヒエロニムス」はどこにある?

ヴァティカン市国のピナコテカ・ヴァティカーナ(ヴァティカン絵画館)第9室に所蔵されています。ヴァティカン美術館の一部です。

「荒野の聖ヒエロニムス」はいつ描かれた?

1480年頃、レオナルド・ダ・ヴィンチが28歳のときにフィレンツェで描き始められました。その後ミラノへの移住とともに制作が中断され、未完成のまま現在に至ります。

「荒野の聖ヒエロニムス」のサイズは?

縦103センチメートル・横75センチメートルのクルミ材パネルに油彩とテンペラで描かれています。

なぜ「荒野の聖ヒエロニムス」は二つに切断されていたのか?

ダ・ヴィンチの死後に何らかの理由で上下2枚に切断され、別々の場所に散逸したと考えられています。19世紀初頭にナポレオンの叔父フェシュ枢機卿が二枚を別々の古物商で発見し、再接合しました。その後1856年にローマ教皇ピウス9世が取得し、ヴァティカン美術館の収蔵となりました。

ダ・ヴィンチのグッズはどこで買える?

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