ダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」とは?世紀の盗難と十字架を掴む幼子の謎

2003年に白昼堂々と盗まれた傑作——幼子が手にした糸巻きに秘められた受難の予告

レオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」(ランズダウン版、1501年頃)個人蔵(米国)
知恵は経験の娘である

「糸巻きの聖母」とは

聖母マリアが幼子キリストを抱きながら、わが子が手にした十字形の糸巻きをじっと見つめる——レオナルド・ダ・ヴィンチが1501年頃に構想した「糸巻きの聖母(マドンナ・デイ・フーゾ)」は、穏やかな母子の情景の中に受難の予告を秘めた、謎多き名作です。

この作品には、現在主要な2つのバージョンが知られています。スコットランド・エジンバラのスコットランド国立美術館が所蔵する「バクルー版」(縦48.3センチメートル、横36.9センチメートル)と、アメリカの個人コレクションに収められた「ランズダウン版」(縦50.2センチメートル、横34.6センチメートル)です。いずれも油彩・板絵で、制作年は1501年頃とされています。

両バージョンとも、ダ・ヴィンチ本人が構図を設計し、工房のスタッフが多くを仕上げた「ダ・ヴィンチと工房作」として分類されています。しかし赤外線反射撮影(インフラレッド・リフレクトグラフィー)によって、両作の下絵にはダ・ヴィンチ独自の素描線が確認されており、構想そのものが彼の手によるものであることに疑いはありません。

糸巻きは当時、糸を巻き取るために使われた道具で、その形状は縦横に棒が交差した十字架そのものでした。幼子が無邪気に手を伸ばすこの器具こそ、未来の受難の象徴——聖母はそれを知りながら、愛おしそうにわが子を見つめています。一枚の絵の中に喜びと悲しみの両方が同居するこの構図は、ダ・ヴィンチの成熟した思索の結晶です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」(1501年頃)聖母と幼子のディテール——十字形の糸巻きに手を伸ばす幼子キリスト

制作の背景——第二次ミラノ時代と歴史的な書簡

1499年、フランス軍がミラノを占領し、ダ・ヴィンチが17年間仕えたスフォルツァ公爵ルドヴィーコが失脚しました。工房を失ったダ・ヴィンチはヴェネツィアやフィレンツェを経て、1500年末頃に再びミラノに戻り、今度はフランス王ルイ12世の宮廷に仕えることになります。この「第二次ミラノ時代」の幕開けに構想されたのが「糸巻きの聖母」です。

この作品について、極めて貴重な一次資料が残っています。カルメル会の修道士フラ・ピエトロ・ダ・ノヴェラーラが1501年4月14日にマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステに宛てた書簡です。彼はその中で「ダ・ヴィンチは一歳ほどの幼子のカルトン(下絵)に取り組んでいる。幼子は母親の腕からほぼ抜け出して糸巻きを掴もうとしており、糸巻きをじっと見つめて放そうとしない。母は、糸巻きとの間に足を置いて引き止めようとしている」と描写しています。現存するダ・ヴィンチの制作現場を伝える最も生き生きとした記録のひとつです。

作品の依頼主については諸説ありますが、フランス王ルイ12世の国務長官フロリモン・ロベルテであった可能性が高いと研究者の間で見られています。「知恵は経験の娘である(La sapienza è la figlia dell'esperienza)」というダ・ヴィンチ自身の言葉通り、ミラノ再訪という波乱に満ちた経験の中から、この作品の着想は生まれました。

フランチェスコ・メルツィ「レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像」(1510年頃)英国王室コレクション所蔵

技法と色彩——スフマートと空気遠近法の調和

「糸巻きの聖母」のマリアの顔には、ダ・ヴィンチが生涯をかけて磨いたスフマート技法が存分に発揮されています。頬から首へ、まぶたから瞳へ——すべての境界が輪郭線なしに、光と影のなだらかな移行によって形を成しています。涙腺のわずかなふくらみ、視線の下がった目元の柔らかさが、何層もの薄い絵具の重なりによって生み出されており、見る者に生きた人間の肌の存在感を与えます。

幼子キリストの躍動的な身体と、それを受け止める聖母の安定した体勢の対比には、ダ・ヴィンチが「魂の動き(moto dell'anima)」と呼んだ、人物の内面を外的な動きで表現するアプローチが凝縮されています。幼子は好奇心のままに糸巻きへ手を伸ばし、聖母は愛情と静かな翳りの入り交じった表情でその動きを見守っています。

背後に広がるアルプスを思わせる険峻な山岳風景は、遠ざかるにつれて青みがかった霞に溶けていく空気遠近法の実践であり、「聖アンナと聖母子」や「モナ・リザ」の背景と同じ系譜に属しています。赤外線調査で確認されたダ・ヴィンチの下絵は、聖母の手の動きと幼子の姿勢について数度の修正が重ねられた跡を示しており、構図をいかに綿密に練り上げたかが伝わります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」聖母マリアの顔——スフマート技法による陰影レオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」糸巻き(十字架)を持つ幼子キリスト——受難の象徴レオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」幼子キリストの表情——上方を見上げる生き生きとした動きレオナルド・ダ・ヴィンチ工房「糸巻きの聖母」背景の山岳風景——空気遠近法のディテール

2003年・世紀の盗難——白昼に消えた傑作

2003年8月27日——ダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母(バクルー版)」が、世界を震撼させる事件に見舞われます。スコットランド南部のダムランリグ城にて、観光客に変装した2人組の男性が真昼間に絵を持ち去ったのです。城が一般公開されている夏の昼間に起きた大胆不敵なこの事件は、イギリスの新聞各紙が「世紀の盗難(heist of the century)」と形容しました。

推定評価額は3000万〜5000万ポンド(当時で約60〜100億円)。バクルー公爵家が代々秘蔵してきた至宝は白昼堂々と姿を消しました。スコットランド警察はインターポールと連携して国際捜索に乗り出しましたが、絵の行方は4年以上にわたって杳として知れませんでした。

事態が動いたのは2007年10月です。スコットランドのグラスゴーで実施されたおとり捜査の結果、弁護士のブリーフケースから無事に発見・回収されました。4年2か月ぶりの帰還を果たした「糸巻きの聖母」は修復を経て、現在はスコットランド国立美術館(エジンバラ)への長期貸し出しという形で一般公開されています。この劇的な物語が広く知られたことで、「糸巻きの聖母」は世界中の美術愛好家にその名を刻みました。

幼子が掴む十字架——受難を予告する糸巻きの謎

十字架を掴もうとする幼子、その動きを見守る聖母——この静かな場面に込められた意味を読み解く鍵は、絵の中心にある「糸巻き」の形にあります。

16世紀のイタリアで使われていた糸巻き(フーゾ/fuseaux)は、縦と横に棒が交差した十字形をしていました。レオナルド・ダ・ヴィンチはこの道具を単なる小道具としてではなく、ゴルゴタの丘に立つ十字架の予告として意図的に選んでいます。フラ・ピエトロの1501年の書簡でも「幼子は糸巻きをじっと見つめ、放そうとしない」と記されており、その執着は画家が計算した象徴の重みを物語っています。

聖母マリアの表情はけっして悲しみ一色ではありません。わが子の無邪気な好奇心を慈しみながらも、その先に横たわる宿命を予感したような静かな翳り——この複雑な感情の同居こそが、ダ・ヴィンチが「魂の動き」の表現として生涯追い求めたものでした。受難の予告を秘めた母子の静かな対話は、鑑賞者の胸に深く響きます。この構図の感動的な強度は、ダ・ヴィンチが複数バージョンにわたって丁寧に練り上げてきたことの証でもあります。

他のマドンナ画との比較——ダ・ヴィンチの聖母子像の系譜

ダ・ヴィンチが1478〜80年頃に描いた「ブノワの聖母」(エルミタージュ美術館所蔵)では、マリアはほほ笑みながら花を幼子に差し出し、幼子が無邪気に花をつまもうとする場面が描かれています。母子の間に流れるのは純粋な喜びです。また「カーネーションの聖母」(アルテ・ピナコテーク所蔵)でも受難を象徴するカーネーションが登場しますが、そこでの幼子の表情はあくまでも無邪気でした。

「糸巻きの聖母」が描かれた1501年頃、ダ・ヴィンチは同時進行で「聖アンナと聖母子」の構想にも取り組んでいました。聖アンナ・マリア・幼子キリストの三世代が一つの画面に収まるその大作には、「糸巻きの聖母」と同じく、幼子が聖母の腕を抜け出そうとする動きと、それを慈しむ女性の眼差しが描かれています。1501年という創作上の節目において、聖母子の「動き」と「象徴」がいかにダ・ヴィンチの関心の中心にあったかを、両作は鮮やかに示しています。

岩窟の聖母」(ルーヴル美術館・ナショナル・ギャラリー所蔵)と比較すると、「糸巻きの聖母」の明快な二人構図のシンプルさと、糸巻き=十字架という即物的な象徴の鮮烈さが際立ちます。薄暗い洞窟の神秘から、開かれた山岳風景のもとへ——ダ・ヴィンチはこの時期に聖母子像の空間を大きく転換させています。

なぜ「糸巻きの聖母」は今も語り継がれるのか

「糸巻きの聖母」が2003年の盗難事件によって世界的に知られるようになったことは、皮肉な事実です。しかし2007年の劇的な回収とスコットランド国立美術館への長期貸し出しという流れは、この作品に新たな「公の命」を与えました。現在では毎年多くの来館者がエジンバラでこの作品を実際に目にすることができます。

美術史的な観点からは、「糸巻きの聖母」は「ブノワの聖母」から「岩窟の聖母」「モナ・リザ」へと続くダ・ヴィンチ成熟期のマドンナ画の系譜を結ぶ重要な作品として位置づけられています。赤外線調査が明らかにした精緻な下絵は、ダ・ヴィンチが工房に制作を委ねる前に、どれほど綿密に構想を練り上げていたかを示しています。

2つのバージョンが並行して存在するという事実もまた、この作品を特別にしています。どちらが「より本物に近いか」という問いを超えて、両バージョンを比較することで、ダ・ヴィンチの構想と工房の実践の間にある微妙な違いを探求できるからです。人間の情愛と神の摂理を一つの画面に凝縮するダ・ヴィンチの能力——「糸巻きの聖母」はその頂点のひとつとして、今後も美術愛好家を魅了し続けるでしょう。

「糸巻きの聖母」を見るには——エジンバラとミュージアムグッズ

「糸巻きの聖母(バクルー版)」は現在、スコットランドのエジンバラにあるスコットランド国立美術館(National Galleries of Scotland)に長期貸し出しの形で展示されています。入館料は無料(特別展を除く)で、ルーヴル美術館やメトロポリタン美術館とは異なり、落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと鑑賞できます。エジンバラ城やホリルードハウス宮殿などの観光スポットとあわせて、スコットランドの芸術を堪能する旅として計画することをおすすめします。

ランズダウン版は現在アメリカの個人コレクションに収められており、一般公開はされていません。ダ・ヴィンチのマドンナ画を体験するには、エジンバラへの旅が最も確実な選択肢です。なお、ルーヴル美術館が所蔵する「モナ・リザ」をはじめとするダ・ヴィンチ作品のミュージアムグッズは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のミュージアムグッズです。Museum Boxでは、ポーチ・バッグ・ノートブック・ポスターなど多彩なアイテムを取り扱っています。

よくある質問

「糸巻きの聖母」はどこにある?

主要な2つのバージョンが存在します。「バクルー版」はスコットランド・エジンバラのスコットランド国立美術館に長期貸し出し中で無料で観覧できます。「ランズダウン版」はアメリカの個人コレクションにあり、一般公開はされていません。

「糸巻きの聖母」はいつ描かれた?

1501年頃の制作とされています。1501年4月14日付のフラ・ピエトロ・ダ・ノヴェラーラの書簡に制作中の様子が描写されており、これが現存する最も早い記録です。

「糸巻きの聖母」のサイズは?

バクルー版が縦48.3センチメートル・横36.9センチメートル、ランズダウン版が縦50.2センチメートル・横34.6センチメートルです。いずれも油彩・板絵(後にキャンバスや板に転写)です。

なぜ「バクルー版」と「ランズダウン版」の2つが存在するのか?

ダ・ヴィンチが構図の下絵を描き、工房のスタッフが仕上げたため、複数のバージョンが制作されたと考えられています。赤外線調査でどちらの版にもダ・ヴィンチ本人の下絵が確認されています。

2003年の盗難はどんな事件だったのか?

2003年8月27日、スコットランドのダムランリグ城から観光客に変装した2人組に盗まれました。推定評価額3000万〜5000万ポンドの大胆な窃盗で、2007年10月にグラスゴーのおとり捜査で無事回収されました。

ダ・ヴィンチのグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)のダ・ヴィンチ・グッズを取り扱っています。ルーヴル美術館所蔵のモナ・リザをモチーフにしたポーチ・バッグ・ノートなどをご覧ください。