伊藤若冲「象と鯨図屏風」とは?82歳の奇才が墨一色で描いた、天地の生命の饗宴

江戸の奇才は老境に入って最高傑作を描いた——2008年に発見された幻の水墨屏風

伊藤若冲「象と鯨図屏風」左隻(1797年頃)紙本墨画 159.4×354.0cm MIHO MUSEUM所蔵
其の工、殆ど天地の造化に参ずるが如し

「象と鯨図屏風」とは

波頭が砕け散る大海原に、巨大な鯨が身を反らせて空へ跳躍する——右隻では、荒涼とした岩場に白い象が悠然と佇んでいます。伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の「象と鯨図屏風」は、天地の根源的な力を二頭の巨大生物で対比した、江戸絵画史上もっとも大胆な構想の水墨屏風です。

「象と鯨図屏風」は、六曲一双(各隻159.4×354.0cm)の大判屏風に、墨のみで描かれています。制作年は1797年頃とされており、若冲が82歳のときの作品です。現在は滋賀県甲賀市信楽のMIHO MUSEUMに所蔵されており、同館の代表的なコレクションのひとつとなっています。

この作品が世に知られたのは2008年のことです。長らく秘蔵されていたこの屏風が公開されると、日本美術界に衝撃が走りました。江戸時代の絵師が82歳という晩年に、これほど気宇壮大な作品を生み出していたことは、多くの研究者を驚かせました。

伊藤若冲(1716-1800)は、京都の錦小路に生まれた青物問屋の主人であり、独学で絵を修めた異色の絵師です。鮮やかな色彩で動植物を描いた「動植綵絵」30幅で名高く、晩年は彩色を離れて墨一色の水墨画に活動の軸を移しました。「象と鯨図屏風」はその最高傑作と評されています。

伊藤若冲「象と鯨図屏風」左隻(1797年頃)鯨と波頭のディテール MIHO MUSEUM所蔵

制作の背景——老境の奇才と最後の挑戦

若冲が「象と鯨図屏風」を制作したのは、激動の晩年でした。1788年(天明8年)、京都を焼き尽くした「天明の大火」は若冲の自宅と画室をも飲み込みました。このとき若冲はすでに72歳。40年以上かけて収集・制作した絵画資料の多くも失われたとされています。焼け出された若冲は、幼少期から縁の深かった相国寺に身を寄せ、その後は各地の庇護者のもとで創作を続けました。同寺の高僧・大典顕常(だいてんけんじょう)は若冲の絵に寄せた序文で「其の工、殆ど天地の造化に参ずるが如し」と記しており、若冲の芸術を宇宙の創造力と同等に評しています。

老齢の身でありながら若冲の制作意欲は衰えることなく、80代に入ってからも旺盛に筆を執り続けました。1797年頃に完成した「象と鯨図屏風」は、若冲がおよそ82歳のときの作品です。長年、彩色の豪奢さで知られた若冲が、老境に入って墨一色の世界へと向かったことは、きわめて意義深いことでした。

若冲の生涯後半は「斗米庵(とべいあん)」という号にも象徴されています。相国寺の支援を受け、一斗(約18リットル)の米と引き換えに絵を描いて生計を立てながら、宗教的な修行と制作を並行させた境地——その晩年の精神が、この屏風に凝縮されています。

伊藤若冲の肖像(窪田米仙画、1885年)パブリックドメイン

技法と表現——墨一色が生み出す宇宙

「象と鯨図屏風」の技法の核心は、墨の濃淡だけで描かれた水墨画(すいぼくが)です。彩色なしに、鯨の皮膚の弾力感、波頭の白い泡沫——すべてを墨の強弱と潤渇(じゅんかつ)によって表現しています。

鯨の背中から吹き上げる白い水柱と、その根元を取り巻く波——薄墨の面塗りの上から濃い墨で質感が加えられており、体の重量感と皮膚の湿り気が実物を見るかのように感じられます。若冲が60年以上かけて培った観察眼と筆技が、この一角に凝縮されています。

波頭の飛沫は、紙の地の白を活かした「余白」によって表現されています。墨を置かないことで白波を描くこの引き算の美学は、中国宋代の水墨画から継承しつつも、若冲独自の激しさを持っています。鯨の腹部を取り巻く巻き波には、若冲の印章とともに、細かな渦と真円の泡が散りばめられています。

鯨の体表には、薄墨の面塗りの上から濃墨の点・線が重ねられ、なめらかな皮膚の光沢と海水の潤いが同時に表現されています。この技法は「破墨(はぼく)」と呼ばれており、乾く前に次の墨を加えることで自然な滲みを生み出しています。

鯨から遠ざかるにつれ、波の表現は次第に淡くなっていきます。遠景では輪郭の線描と薄墨の点描だけで波の広がりが表現されており、近景の激しい渦巻きとの対比が、大海の空間的な奥行きを生み出しています。

伊藤若冲「象と鯨図屏風」鯨の背と噴水ディテール(1797年頃)MIHO MUSEUM所蔵伊藤若冲「象と鯨図屏風」波頭と若冲印章ディテール(1797年頃)MIHO MUSEUM所蔵伊藤若冲「象と鯨図屏風」鯨の体表ディテール(1797年頃)MIHO MUSEUM所蔵伊藤若冲「象と鯨図屏風」遠景の波ディテール(1797年頃)MIHO MUSEUM所蔵

2008年の衝撃——200年の眠りから目覚めた傑作

2008年、日本美術界は一つの発見に沸き立ちました。長らく所在不明だった「象と鯨図屏風」が、滋賀県のMIHO MUSEUMに所蔵されていることが明らかになったのです。この屏風は長年、私的コレクションの中に収まっており、美術研究者たちもその存在を知らないままでいました。

若冲の本格的な研究が始まったのは20世紀後半のことです。江戸時代にはその名声を誇った若冲ですが、明治以降は長く忘れられた存在となりました。1970年代以降の研究と展覧会によって再評価の気運が高まり、「象と鯨図屏風」の発見はその流れの中での最大級の収穫といえます。

2009年、MIHO MUSEUMで開催された特別展「若冲の復活——象と鯨図屏風を中心に」では、この屏風が初めて一般公開されました。来場者は82歳の老絵師が描いた宇宙規模の構想に圧倒され、展覧会は大きな話題を呼びました。日本美術史における重要な発見として、国内外の美術メディアが相次いでこの屏風を報じました。

象と鯨——天地の対話

「象と鯨図屏風」の主題は、単なる動物画を超えた哲学的な意味を持っています。象は大地の生き物——揺るぎない大地と山岳を表し、鯨は海の生き物——測り知れない大海の深みを象徴します。若冲は二頭を向かい合わせることで、天地・陰陽・大地と海という宇宙の二元的な秩序を一対の屏風に凝縮したと考えられています。

この発想の背景には、若冲が深く帰依した禅仏教の世界観があります。禅では、すべての生命は平等に仏性を宿すとされます。鯨も象も、等しく宇宙の一部として存在しているという考え方は、若冲が生涯をかけて描き続けたテーマでした。伊藤若冲「動植綵絵」でも雄鶏から昆虫まですべての生物を同じ熱量で描いた若冲の精神と、この屏風は深く通底しています。

日本において象は享保年間(1720年代)に実際に長崎経由で輸入されており、鯨は古くから漁の対象として身近な存在でした。若冲は両者の観察または資料に基づいて描いたとされており、空想の産物ではなく現実の生物の観察から生まれた作品です。しかしその規模感と気概は、眼前の生物を超えて、天地そのものを描き出そうとする野心に満ちています。

彩色から墨——もう一つの若冲を知る

「象と鯨図屏風」を理解するには、若冲が同じテーマ——あらゆる生命の礼讃——をどのように表現してきたかを知ることが助けになります。若冲の最高傑作として名高い伊藤若冲「動植綵絵」(どうしょくさいえ)は、30幅の絹本著色画に、牡丹・孔雀・鶏・昆虫など百種以上の動植物を鮮やかな岩絵具で描いた連作です。現在は宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されています。一方「象と鯨図屏風」は、同じ万物への眼差しを墨一色に凝縮しています。

色と無色、彩色と水墨——二つの表現は対照的でありながら、描こうとしているもの本質は同じです。若冲は彩色作品で宇宙の「色彩」を描き、墨画で宇宙の「かたち」を描いたといえるかもしれません。

同時代の日本絵画でも、墨のみで宇宙的スケールを描いた作品は少なくありません。長谷川等伯「松林図屏風」(東京国立博物館)は、霧の中に浮かぶ松林を墨の濃淡だけで描いた傑作です。また、尾形光琳「紅白梅図屏風」(MOA美術館)も対比と省略の造形で知られる名作です。若冲の「象と鯨図屏風」は、こうした日本絵画の水墨・装飾絵画の系譜に並ぶ傑作として位置づけられています。

伊藤若冲「動植綵絵」老松孔雀図(18世紀)宮内庁三の丸尚蔵館所蔵

なぜ「象と鯨図屏風」は今も語り継がれるのか

「象と鯨図屏風」をはじめとする若冲作品の再評価は、20世紀後半に本格化しました。1970年に京都国立博物館で開催された若冲展が転機となり、欧米の美術市場でも高い評価を獲得しました。2016年には、ワシントン・ナショナル・ギャラリーで「若冲(Jakuchū!)」展が開催され、国際的な知名度を一気に高めました。

「象と鯨図屏風」は2009年の公開以来、MIHO MUSEUMの代表作として多くの美術書・図録に収録されており、若冲研究の新たな基準点となっています。82歳という晩年に宇宙的スケールの作品を生み出した事実は、老いと創造力の関係をめぐる議論に新しい光を与え続けています。

水墨画という「非彩色」の媒体を選んだ晩年の若冲の姿勢は、現代の美術家にも大きな示唆を与えています。色を手放したとき、形そのものに宿る生命力が浮かび上がる——「象と鯨図屏風」はその命題に対する、若冲の最終的な答えのひとつです。

「象と鯨図屏風」を見るには——MIHO MUSEUMとグッズ情報

「象と鯨図屏風」は、滋賀県甲賀市信楽のMIHO MUSEUMに所蔵されています。MIHO MUSEUMは建築家I.M.ペイが設計した美術館で、山の斜面に掘り込まれたトンネルを抜けて展示棟に至る独特の空間構成で知られています。古代オリエント・エジプト美術から日本絵画まで幅広いコレクションを誇り、「象と鯨図屏風」は特別展・常設の両形態で公開されることがあります。訪問の際は展示スケジュールを事前にご確認ください。

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)の日本美術グッズを販売しています。パリ・ギメ東洋美術館が所蔵する葛飾北斎の大波などをモチーフにしたうちわ・ポーチ・ノートなど、江戸の美意識を日常に取り入れるアイテムをぜひご覧ください。

よくある質問

「象と鯨図屏風」はどこにある?

滋賀県甲賀市信楽のMIHO MUSEUMに所蔵されています。JR石山駅からバスで約50分。展示の有無はMIHO MUSEUMの公式サイトでご確認ください。

「象と鯨図屏風」はいつ描かれた?

1797年頃の作とされており、伊藤若冲が82歳のときに制作された晩年の傑作です。

「象と鯨図屏風」のサイズは?

六曲一双(左右それぞれ6枚折の屏風2隻)で、各隻のサイズは縦159.4cm×横354.0cmです。

伊藤若冲はどんな人?

江戸時代中期〜後期の絵師(1716-1800)。京都の青物問屋の主人でありながら独学で絵を修め、動植物を精緻に描いた「動植綵絵」30幅などで知られます。現在は日本を代表する絵師の一人として国際的に高く評価されています。

「象と鯨図屏風」のグッズはどこで買える?

Museum Boxでは、フランス国立美術館連合(RMN-GP)の日本美術グッズを取り扱っています。パリ・ギメ東洋美術館監修の北斎モチーフのうちわ・ポーチ・ノートなどをご覧ください。